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因島市には、たくさんの港があった。

今もその名残はたくさんあると思うが、わたしがよく利用していたのは、重井という港と木原(三原市)という港を結ぶフェリーだった。

木原側は護岸工事が済んでいる岸壁の埠頭で、重井側はゴミ処理場や砂浜がある近くの埠頭だった。

当時は因島大橋が架かっていなかったため、家族5人がそろって広島市や尾道市から彼岸や盆・正月の墓参りに行くためには、向島(津部田)経由のフェリーか木原~重井のフェリーが一番料金も手間も少なかったのだ。

母が言うには、重井には遠い親戚の家があったので、小さい頃によくお使いに行かされたということだ。

土生から重井は島の中心にある山を越えなくてはいけないので、子供の足には相当の負担になる。

重井には砂浜がある割にすぐ近くが切り立った岬で、渦潮が巻く海の難所でもあったので灯台があった。(今もあるかな?)

その周辺の見晴らしのいいところでゆっくりとお弁当休憩をし、それからまた土生に帰ったら日が暮れていたというので、一日仕事だったのだろう。

そんな事情もあり、母は土生に住んでいる人間にしては島の北部の昔話をよく聞いて育っていた。

重井の岬の灯台近くには渦が巻くなどは土生の人はほぼ知らないだろうし、その渦の近くにはとても深い海があって、鱶(ふか)と呼ばれるサメ類が生息する巣があるという話もよほど子供のイメージに深く刻まれたのか、よく話をしてくれたものだ。


その重井の砂浜で、わたしはよく遊んだものだった。

何せ、盆や正月は帰省の人出がすごく多く、フェリーを1本見逃さなくてはならないなんてことは、しょっちゅうあることだったのだ。

埠頭ですることなど、散歩程度。

売店に行っても特に何かを買うわけでもないし、多くの人が涼や暖を求めてくるのでずっと席を占領しておく訳にもいかない。

もともとフェリーの乗車券を購入する人がひっきりなしに来ては、何時のフェリーに乗れるのかちょっとイライラしながら確認するところなので、落ち着きようもない。

そこで、砂浜なのである。

寒かろうが、暑かろうが、砂浜には何かしらの生き物がいて、波は打ち寄せる度に形が変わる。

子供にとって、変化ほど退屈をしのぐ事象はない。

行ったり来たりしてはクラゲが天日で乾ききったものや、砂浜の穴をほじくって出てきた小さなカニや、時にはゴミ処理場から流れてきたとおぼしき鶏の首などを探したり、放り投げてどこまで飛ばしたか競い合ったり、何もなければ石を拾って水切りをしたりしたものだ。

そして、ふと気づくと対岸の方からフェリーが近づくのが見え、遊びはお開きになるのだった。

今では考えられないほどヘドロのたまっていたあの砂浜で、よく平気で遊んだものだ。

たぶん、フェリーの重油やゴミ処理場の関係でたまったのだろう。


しかし、それでもどこかに家族で出かけるという時にあちこちで非常に楽しみが多く、因島は魅力的な土地だった。

祖父も祖母もおらず、母の兄とその家族がいるだけの里帰り。

母にはどんな気持ちがあったかは分からないが、あの建て増し建て増ししていた、実家とも言いづらい土生の家までの道のりは、子供たちにはそれなりに楽しい思い出となっているのだ。

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