今の思いとこれからについて
箱根予選会、山梨学院大学の応援ありがとうございました。
走った選手の頑張りのおかげで予選会4位で箱根本戦への出場権を獲得することができました。
チームメイトの走りにテレビ越しですがたくさんの勇気をもらいました。
報告会でここまで苦しんできたキャプテン松倉の笑顔が見れてすごく嬉しかったです。
予選会通過が決まってから多くの方からお祝いや励ましのメッセージをいただき、本当に嬉しく思います。
このnoteでは、僕の現状とこれからについて書こうと思います。
予選会を通過してこれから本戦に向けてやっていくというという中で、この報告をするべきかどうか悩みましたが、少しでも応援してくれる人がいる中でしっかり発信するべきだと思いこれを書いています。
これから書く内容に関して賛否両論あるかもしれませんが、自分なりに悩んで出した結論なので後悔はありません。
実は、今年の夏から長距離チームから離れ別で練習をさせていただいています。
箱根駅伝を目指して走ることに一区切りつけることにしました。
僕は、大学2年生の時に関東学生連合で長年の夢だった箱根駅伝を走ることができました。
しかし、この日を境に自分の中で色々なものが崩れてしまったように思います。
当時、なんとか予選会のメンバーに滑り込めた僕がまさかのチームでトップ、そして関東学生連合に選出され、箱根駅伝を走ることになりました。
予選会が終わってから、毎週のように取材を受け、記事にしていただき、SNSで自分の名前を目にすることが増えました。
注目されることに喜びを感じながらも、箱根駅伝のあまりの注目度の高さに戸惑っていたことを今でも覚えています。
大学で初めての学生連合ということもあり、自分がしっかり走らないと33年連続で箱根駅伝に出場してきた山梨学院大学の伝統を壊してしまうと勝手にプレッシャーを感じていました。
選手として走る以上、色々なものを背負って走らなければいけないことはわかっていましたが、その重圧に耐えるのに必死で精神的にきつかったです。
なんとか当日は無事に走り切ることができて、結果も区間12位と当時の自分の力を考えたら大健闘の走りをすることができました。
しかし、そこから色々なものが崩れていきました。
箱根駅伝に対する思いが強かったからこそ、その反動は大きかったのかもしれません。
大会が終わったすぐ後に摂食障害になってしまい、練習どころではなくなってしまいました。
監督と相談し、チームを離れ3ヶ月間静岡の実家に帰り気持ちや身体を休ませてもらいました。
そこからなんとか復帰するも度重なる怪我で思うような練習をすることができませんでした。
その中で、自分が一番苦しんだのが、箱根駅伝を走ったことで完全に燃え尽きてしまっていたことです。
自分で言うのもおかしいですが、箱根駅伝を走るまでの僕は陸上に対して誰よりも真剣に向き合ってきたと自負しています。
小学生の時からの夢だった箱根駅伝を走るためならどんな苦しい練習でも頑張ることができていました。
どんな挫折をしても、どんなに思うように走れなくても、諦めずに努力し続けることができるのが自分の強さだと思っていました。
しかし、箱根駅伝を走ってから、陸上に対して本気で向き合うことができなくなってしまいました。
自分の中に、箱根駅伝走ったからあとはもうどうでもいいなんて感情があったわけではありません。
頭では頑張らないといけないとわかっていても気持ちがついてきませんでした。
練習に出るのがとにかく苦痛で、練習場所に行くと体調が悪くなり走ることができないことも多々ありました。
箱根駅伝がいつしか自分の中で重荷になっていたのかもしれません。
誰かの期待に応えるためじゃなくて、自分の好きなように伸び伸び走りたい。そんな思いが強かったです。
頑張ろうと思ってるのに本気で向き合えない自分への苛立ちと、箱根駅伝に向けて頑張っているチームに対しての申し訳なさからチームを離れる決心をしました。
そして、現在は長距離チームからは離れてミドルチームで練習をさせていただいています。
正直、部活を辞めるつもりで監督に相談に行きましたが、現在ミドルチームを見ている上田監督にこんなことを言われました。
「部活を辞めるかは自分の判断でいい、だけどあれだけ楽しそうに走っていたお前が走ることすらやめてしまうのは悲しい」
この相談をした時に上田監督だけが唯一、“箱根駅伝“というワードを出さずに自分の陸上に対しての思いに触れてくれました。
この言葉が心に深く刺さりました。
そこから家族と監督に相談し、ミドルチームで上田監督に見てもらうことになりました。
ミドルチームでは、基本的に上田監督にメニューを相談しながらも自分の好きなように練習をさせていただいています。
練習をまともにやってなかった3ヶ月前に比べて今ではかなり走れるようになってきました。
環境を変えて箱根駅伝を諦めたこと。
周りから見れば逃げの選択に見えるかもしれません。
でも、自分の中では攻めの選択だと思っています。
あのままチームに残って卒業までなんとなく毎日を過ごしていればそれが一番楽だったかもしれません。
だけど、何の目標もなくただ毎日を過ごしている自分が嫌でした。
まだ何も成し遂げてなく、純粋に走ることを楽しみ、目標に向かって頑張っていたあの時の自分に戻るために、今弱い自分と本気で向き合いながら頑張っています。
調子良かった時の自分と比べて落ち込むことも多いですが、少しづつ自分のペースで目標に向かって頑張っています。
それが何よりも楽しいです。
僕は3ヶ月前にある目標を立てました。
それは、別府大分毎日マラソンで2時間15分を切ることです。
ずっと挑戦したかったマラソンを学生最後に頑張ろうと思います。
これを読んでいる人、応援してくれている人、中にはチームメイトでも自分のこの選択によく思わない人はいると思います。
この選択を理解できない人もいると思います。
自分勝手な行動で申し訳ないと思っていますが、自分の心の声を素直に聞いて出した結論なのでこれが正解だと思っています。
こんな僕ですがこれからも応援してもらえると嬉しいです。
ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。
これからも山梨学院大学の応援よろしくお願いします!
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