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柔術始めてから5年経ちました

2017年11月12日に柔術を始めて5年経ちました。
そしてやっぱりnoteはさぼりがちになりました。
ケイト先生を見習わねばなりません。
(日記形式、好きです)


きっかけ

平たく言えば、「友人からの紹介」です。
2017年10月に三田道場が女子解禁になりました。
そのタイミングで三田道場に通う友人に「やってみましょうよ」と誘われ(諸々経由しつつ)2017年11月12日に体験に行ったのでした。

当時、大学卒業以来16年ぶりにトラックを走りたいとマスターズ陸上に挑戦していました。
その2年目の2017年、秋頃にはなんとか思うような走りができるようになっていて、来期に向け冬場の練習をどうしようかと考えていたところでした。
そのため、柔術については「クロストレーニングにでもできたらいいな」くらいに思って始めました。

実際、半年ほどは陸上と柔術とハイブリッドでやっていました。

木枯らしの吹く代々木・織田フィールド、地下で明るく光る三田

陸上の練習で一番悩むのは走る場所です。トラックで走りたいけどもなかなかないのです。
当時の勤務先(渋谷)から一番近い場所が代々木の織田フィールド。
もう一つは東京体育館の競技場(1周200メートルという超きついコーナー)。
どちらも毎日使えるわけではない…一般開放の曜日が決まっています。
よって、トラックを使える時には陸上の練習を優先し、柔術は走る日以外の土日をメインに行っていました。

冬場の陸上の練習は孤独です。
そして寒い、極寒です。
一方、柔術は道場にいけば誰かしらいるし、何より暖かい。快適です。
この違い…地味に効いてきます。
そうして私の気持ちは着々と柔術に寄っていったのでした…。

試合にでてみよう

そんなどっちつかずでふらふらとしていた私ですが、柔術を始めて4カ月が経った頃に試合にでてみようと思ったのです。
今思えば無謀でしかないのですが、当時ibjjf主催で行われていたTOKYO OPEN。
駒沢だし、家から近いから出てみようと、わざわざibjjf登録までしました。

試合はなーーーんにもできないまま、台湾だったか韓国だったかの選手に負けました。
当然です。
だってまだ何もできてないんだから。

悔しいよりも、理由ができた安心感

負けたことで、「柔術をちゃんとやる。陸上は長期休業する」と決めたのでした。
悔しかったことは事実だし嘘ではないけれど、どこかで理由ができたことに安心している自分もいました。
別に誰に何を言われるわけでもないのに。
陸上という、ある種の自身の原点をあっさりやめる自分への言い訳だったなぁと今にして思うわけです。

でも心を決めてしまえば、あっさりだろうとなんだろうと心は軽快です。
この日を機に、いつでもどこでもいる白帯の人になっていったのでした。

時は流れる、変化もする

いつでもどこでもいる白帯の人は、いつしか青帯となり、試合に勝ったり負けたりして紫帯になり、気づけば5年経ちました。
その間のことは特に触れません。
何故なら毎日同じことの繰り返しだからです。
シロートの日常話なんてつまらなさの極みです。
でも機会があれば、そのなかでも面白かったこと思い出してみようと思います。

とはいえ、変化したこともあります。
先述の通り、入会当初は陸上をやっていました。
陸上をしていたときは身体をかなり絞っていたので、今よりも体重は5キロくらい少なかった。
白帯時代はその名残でライトフェザーで試合出てました。
体脂肪率が12%とかしかなくて、あんまり健康じゃなかったですね。
今やナチュラルでフェザーです。
節制も減量も不要。
40代はその方が健康です。

6年目、今を生きます。いつか来るその日まで。

6年目、まだまだやりたいことや学びたいことはたくさんあります。
ワールドマスターにはいつかでたいし、ヨーロピアンにも行ってみたい。
日本各地に出稽古も行きたい。

だから。
今、やれる時にやりたいことはやろうと思います。
今を一生懸命に生きていきたい。
生きていきましょう。

そう、いつか必ずできなくなる日が来るから。

石川先生の言葉が重く、でもすっと入ってくる。
ラジオは開始された当初から全部聴いているはずです。
どの回も好きですが、今回は何度でも聴こうと思うとても良い回でした。
(先日の服部君の回もサイコーです)

明日も練習いこう。

Seize the Day!



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