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Web3は本当に三段階目なのか?

Web3については評価いろいろで、否定的というか冷めた目も多い印象だ。だけど、それ以前にこれを第三段階として整理することに違和感を感じる。Web3って言葉に合わせてむりくり第三段階として説明しようとすることが理解を妨げていないか?

元々双方向だったネット

Web3を第三段階する整理では、第一段階と第二段階(いわゆるWeb2.0)の違いを片方向、双方向と分類する。
しかしだ、もともとネットは双方向だった。fjなんかのネットニュースにしてもパソコン通信にしても参加者が双方向に発信し合っていた。たしかにファシリテータとかシスオペとか取りまとめはいたけど、至って民主的でフラットだったじゃないか。これをNet1.0としよう。
これが片方向っぽくなったのがWebの登場。ホームページとかブログとかいうやつだ。Web1.0だがネットとしてはこれがNet2.0だ。
ここで重要なのは”片方向”ってことじゃない。重要なのはNet1.0では”場”は共有されていて、たくさん人がいる前提だった。ネットニュースもパソコン通信も”場”は集中されている。比べてホームページやブログは”場”が分散する。ようするに個々の”場”にいかに人を集めるかが大切な時代だ。トラックバックといった技術が出てきた所以だろう。
この”場”の集中から分散という劇的な変化がNet2.0(Web1.0)の本質だと思う。この変化はあまりに重要で、これがIT業界でいうところの第三次産業革命を引き起こす。

先祖帰りの集中

次にやってくるのがSNSの時代だ。ここで”場”はあらためて集中へと逆転する。Twitterが典型だろう。多くの人が集う”場”を共有し、そこで情報を発信する。これをWeb2.0と整理すべきだと思う。双方向性より大切なのは集中であること。Webは2.0だがNetとしては先祖返りで第二期Net1.0。先祖帰りだから第四次産業革命まではいかない。
Web時代の”集中”で生まれたのが、その集中された”場”を提供するプラットフォーマーだ。このWeb時代の集中という整理がないとWeb3における分散の意味がしっくりこない気がする。プラットフォーマー無くしてはWeb時代の集中は実現しない。

真の常時接続時代

Web3を第三段階とするなら、この次がWeb3でなければならない。しかし、もう一段階入れないと説明にならないように思う。第三段階とすべきは”真の常時接続時代”だと思う。
”真の常時接続時代”とはパソコンがダイアルアップでなくネットに常時接続しているといった常時接続ではなく、誰もが24時間365日ネットに接続されたデバイスを肌身離さず持っている時代だ。
つまり、サイバー空間への接続が断続的ではなく常時かつ連続的な状態。ここで初めてサイバー空間はリアル空間に匹敵する生活の場、人生の場となる。これがいわゆるデジタル社会だろう。Web3.0でありNet3.0だ。
このNet3.0の変化もまた劇的で、第四次産業革命あるいはSociety5.0というやつになる。何度か待ち合わせ文化の消失を例にnoteに書いたものだ。
今や、人は生まれてすぐにサイバー空間に接続され、死ぬまで(いや、死んでからも)接続は切断されない。
このような状態になるとプラットフォーマーの意味合いは爆発的に肥大する。サイバー空間に常時接続のはずが、実際はデジタルプラットフォーマーに常時接続になっているではないかと。サイバー空間での生活そのものがデジタルプラットフォーマーに依存してしまうと。

新しい分散の必要性

俗にWeb3と言われる状態で求められる”分散”がNet2.0における”分散”と次元がちがうのはデジタルブラットフォーマーからの解放という”真の常時接続時代”を民主的な世界にする上で不可欠な要素だからだ。
この分散の意味を理解するには第三段階として”真の常時接続時代”を入れ、俗にいうWeb3を第四段階いわばWeb4としないとどうもしっくり説明整理ができないように思う。
つまり俗にいうWeb3は”真の常時接続時代”を完成形に導くための取り組みであり、まだNet3.0の状態にある。そのへんがWeb3に対する冷めた評価を生んでいる理由なんじゃないかな。



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