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特別定額給付金問題はDX問題なのか

国民みんなに10万円づつ配ろうと思ったら大騒ぎだった問題。行政DXの不足を指摘する言論を多く見かける。たしかに行政のデジタル化は期待された効果を発揮しなかった。だけど、この混乱をDXの問題とすることは正しいのか?

特別定額給付金が混乱した理由

そもそもなぜ特別定額給付金の事務は混乱したのか。もちろん色々問題はあったけど、一番のポイントは以下ではないか。

・申請主義をやめられなかった
・国民にお金を渡すパスを持たなかった
・世帯を単位に配るしかなかった

そもそも申請してもらわないと困るということから始まる。
どうせ銀行振込にせよプリペイドにせよ国民にお金を渡す手段がない。だから振り込み先なり申請してもらうしかない。
となると個人単位は煩雑すぎるから制度上不安定は覚悟で世帯に頼ることになる。

無理難題を押しつけられるDX

これらの問題は技術論ではなく手続論というか制度論である。結局ここには一切手をつけず強行することとなる。
難題を押しつけられる現場は混乱必死で、さすがに申し訳ないと思ったか、DXに白羽の矢が立つ。おい、デジタルならこのくらいの問題、すぐに解決できるだろと。

かわいそうなのはデジタルで、マイナポータルとか活用してなんとか頑張るが限界があった。確かにもうちょっとなんとかなったろうとか課題はたくさんあったと思う。
でも、本質はそこでないだろ。制度論ガン無視で強行した方だろと。

行政DXの本当の目的とは

行政DXの目的は「行政をデジタル社会に対応させること」だと思う。デジタル社会が先にあって、正直ついていけてない行政をデジタル社会に適応させること。
行政自体がデジタルを活用して効率化、高度化することももちろん重要だ。しかし、一番大切なのはデジタル社会のプラットフォームとして機能するよう行政を制度から見直して改編していくことではないか。

DX視点での特別定額給付金問題

特別定額給付金問題に戻ると、要するに制度論の見直しという本来の行政DXをすっ飛ばしてDXによる効率化だけに無理難題を押しつけた結果ということになる。
限られた時間内に制度の見直しができなかったのは確かだろう。だとすれば、問題は緊急時の対応ではなく、日頃から十分なDX、デジタル技術の導入ではなくデジタル適応した制度の整備、をしてこなかったことだろう。

特別定額給付金問題を行政のデジタル技術活用視点でのDX不足と論じる意見を見かける。だが、DX問題と見るならそれはデジタル社会対応した制度に変革できていない行政DX不足と見るべきだと思う。

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