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終わりの季節



〇職場は宇宙ステーション

 かん高い警告音と同時に、目の前のモニターが赤く染まる。血の色に似た鮮やかな色だ。
『カプセル内残量パーティクルをチェックしていません。このままだと次のステップに進めません。カプセル内残量パーティクルをチェックしていません。このままだと……』
 礼儀正しい女の声が続く。同じフレーズを何度も繰り返す、人工的で無機質な声。何か対処しない限りずっとこのままだ。慇懃だが、こうも執拗だと拷問に等しい。
 男は舌打ちをしながらも忠告に従う事にした。結局は自分のミスなのだから。
 今度は慎重に、決められた手順をもう一度最初からやり直す。仕事のための設備を動かすのだ。マニュアル通りのルーティンワークを。
 一人乗り宇宙ステーション、ジェントル・ジャイアント。成層圏を遥かに越え、静止軌道に浮かぶもの静かな巨人。雲海を遥かに見下ろし、星空を見上げる中年男、新倉フトシの住居権職場。美しい景色だ。光とあらゆる色彩が調和した絵画以上の絵画。地上からもっとも高い位置に浮かぶ建造物ならではの風景。見る者の人生観を変えてしまう程の衝撃。地球は今でも青いのだ。
 だが、男は無感動だった。彼にとって目の前の光景は、ただ目に映るだけの背景の一部に過ぎなかった。
 

〇メンテナンスと面談

 本社の指示により、起動エレベーター『東風』へ向かう。定期連絡。補給とメンテナンスも兼ねてだ。世話役のアンドロイド、ロミも含まれている。しばらくは完全な一人暮らし。新倉は少し不安になった。旧式のアンドロイドとはいえ、ここでの一人暮らしはロミに頼りきっている。業務連絡などのマネージメント、食事や健康管理、ロミの存在が無ければ成り立たない。定期連絡も気にかかる。また慇懃に文句を言われるのだろうか。本物の人間と直接会話するのは半年振りだ。
 ステーションが『東風』に近づくと、隣接するドッキングポイントに火星調査移民船団の宇宙船が確認できた。圧倒的だ。このポンコツステーションと違って、あの最新鋭の船を動かすのは鍛え抜かれた若きエリートだろう。俺に無いものを、欲しかったものを全て持っている者たち。嫉妬なのか諦念なのか分からないまま、ステーションはドッキングする。

〇昔々のお話です

 男が生まれるずっと前、百年以上も前の事。
 時を越えて地球に帰還したものがいた。
 無人探査機、『震電』。当時、最高峰のAIを搭載した自律性の無人宇宙船。その目的は、地球圏外の惑星等から鉱物サンプルを採取し、地球に持ち帰る事。
出発から十年、『震電』は突如地球圏に現れた。帰還予定スケジュールより、はるかに早く。その謎を解くため人類の英知を結集したプロジェクトチームが誕生した。
 調査の結果,ワームホール存在を確認した。宇宙空間に穴が開いている。二つの座標をつなぐ通路の入り口。トンネルだ。『震電』はそのトンネルを通って帰還した。そうでなければこの早すぎる帰還を説明できない。
 そしてさらに疑問が生まれた。
 何処から帰って来たのだ? 
 無人探査機『震電』に搭載されたサンプル収集カプセルには、レアメタルの一種、希土類元素と水の分子が含まれていたのだ。しかも、予定の量よりも多くのサンプルが回収されていた。誰かがカーゴを改良し、積載量を増やしたのだ。
 この事実は、知的生命体が、そして地球型惑星が存在する事を意味しているのか。
 さらなる調査のため、人やカネやその他諸々の思惑が動き始めた。
 ワームホールに向かって、探査カプセルをレールガンで射出する。カプセルはホールを通り抜け、目的地の惑星:W‐277にたどり着く。カプセルの中はナノマシンだ。対象惑星にたどり着いたカプセルの中のナノマシンが現地の材料を使って——岩石等の構造を作り変えて——探査装置を作り調査する。その結果を伝える通信装置や帰還船もまた〝現地調達〟によって製作される。ステーションはそのために地球を回っているのだ。

〇情況が変ったのですと本社の人間が言った。

「昨今の経済状況の悪化に伴い、我が社の経営も見直さなければならない事態に陥りました。ジェントル・ジャイアントで行っていた新惑星資源調査もその一つです。合理化の波に逆らえず、他施設、軌道エレベーターへの集約が決定しました。このステーションは廃棄されます。他のステーションと同様に」新倉さんがこれまで弊社に対する貢献を考慮し、検討に検討を重ねましたが、弊社の経営は予想外に悪化し、真に遺憾ながら、新倉さんとの労働契約を解除せざるを得ない、という結論に達しました」
 クビである。

〇これから

 浮世離れした一人用の宇宙ステーション。地上から遠く離れた場所。物理的な距離だけではない。世間とのつながり、人との絆とも疎遠になっていく。
 そこまでしてここで働くのはなぜか? 誰のためにこの仕事がある? それは俺のためだ。俺に職を与えるため。政府の失業対策の一環。何の取り得も実績も無い、無気力な中年男に社会参加させるための福祉システム。俺に残された最後の職場だ。もうここしかないのだ。ゆるい仕事だと新倉は思う。ただ忙しいだけの、およそ創造的という言葉とは無縁の単純労働。悲鳴を上げるぐらいの低賃金。だがようやく見つけた避難場所。快適とはいえないが無いよりはマシだ。
 もうじきそこも追い出される。
十年、二十年、三十年……。残りの人生、どうしのげばいいのか。人生、何度でもやり直しがきく……。その〝魔法のフレーズ〟の効力はとっくに切れている。それでも生きろ、という世間からのプレッシャーに俺は耐えられるのか。

〇自殺防止プログラム・ロミ

 突如、停電が起きる。原因は不明。しかし、すぐに復旧。もう大丈夫とロミが言う。メンテとバージョンアップを終えて戻ってきたのだ。原因はワームホールからくる振動波。軽い宇宙震。観測史上初めての件だが、震度は小さく問題はないとの事。業務に戻る前に、本社からカウンセリングの依頼があります。本社命令、自殺防止カリキュラムです。
そして、ロミのカウンセリングが始まる。
「人間嫌いも何とかしないと駄目よ」全てを察したかのように、ロミが言った。柔らかな色をしている。ロミのその表情を見ていると、なんだか気分が落ち着いてきた。
「人間は嫌いではない。怖いだけだ」だから人を避けて、こんな所にまで来たのだ。新倉は隠し持っていた心情を吐露した。ロミになら話してもいいと思った。例え、感情プログラムの一つ、フェイクだとしても。
「ありがとう、信頼してくれて。本当にありがとう。これでカウンセリングは終了します」
 ロミは新倉の二の腕にそっと手をやり、ゆっくりとさすり始めた。まるで温もりをすり込むように。
「そしてごめんなさい」新倉の両腕を押さえて、ロミが新倉に跨った。反射的に振り払おうとしたが、凄い力で身体が動かない。そして何より身体に力が入らない。
 

〇ワームホールからの使者


  その時、世界が変った。
 いつの間にかロミは何処かへ行ってしまった。新倉は今、闇の中に一人で立っている。空気の流れや温度やわずかな光の粒子も感じられない。停電とはまた別の種類の黒だ。
 闇の中から声が聞こえる。ロミが消えて、複数のエネルギー体になった。
『この宇宙には法則がある。我々はそれに従わなければならない。法を守る、という意味ではない。重力を無視する事ができないように、そうせざるを得ないのだ』
『君たちはいずれ私たちと同じような存在になる。送られてきた探査機を見つけて分かった』
『宇宙では、同じものが存在してはいけないのだ。それは〝争いの元、諸悪の根源〟。いずれそれらは反発しあって、消滅する。今まで、何度も見てきた。同じ宇宙で同時に存在したければ、我々は〝分かり合っては〟いけないのだ』
『だから、〝変わってくれない〟か。そうでなければ君たちは宇宙から消える事になってしまう』
 どうすればいい。
 窓の外。地球はすでに消滅している。最新鋭の火星調査移民船団の宇宙船も沈んだ。
 最後に残された人類、負け犬中年男ができることは何だ?


 2101年 日米合作 配給:ユービックファクトリー


〇配給元からのお知らせ

 原作版収録


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