見出し画像

もっと自由に、もっとつながる。福井で開いた「新しい働き方の扉」(前編)

2019年5月にスタートした株式会社akeru。人材を軸に地域に深くコミットし、教育や採用、まちづくりなど幅広い分野の事業を手がけています。特徴的なのは、働くタイミングや場所などを自由に選択できる勤務スタイル。それぞれの得意分野を活かし大きな裁量のなかで活躍できる環境など、地方から新しい働き方を実現しています。福井でなぜこのようなスタイルの企業を立ち上げたのか、前編では代表取締役 大連達揮さんのこれまでを振り返っていきます。

心から仕事を楽しむために立ち上げた会社


ーakeruはズバリ、どういう会社か紹介してもらえますか。

「自分の人生を自分ごとにできる会社」ですかね。akeruには「夜が明ける」「扉を開ける」「スペースを空ける」といった意味があるのでのですが、僕たちが企業や地域と関わることでこれまでにないものをつくりだしたり、変化を起こしたいという思いが込められています。

ー立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか。

これまで会社員として働いたりさまざまな企業の人材育成に関わったりする中で、思ったより仕事を楽しんでいる人が少ないなと感じていました。特に日本では、明治時代の「工場制手工業」のように一つの場所にみんなが集まって仕事をするスタイルや、業務量の変化があっても賃金は変わらない月給制が続いていて、それが閉塞感につながっているのではないかと。仕事はもっと楽しくていいはず。従来の働き方とは違う、「ローカルならではの新しい働き方」を問題提起したい気持ちがakeruを立ち上げた原動力になっています。


ーメンバーは具体的にどんな働き方をしているんですか?

akeruのメンバーは採用や教育、まちづくりなど、得意なことやこれまでのバックグラウンドがまったく異なります。仕事の内容は人材にかかわることがメインですが、個人や企業、行政など案件もさまざま。例えば、行政案件ではまちづくりや移住のコーディネートを行ったり、企業の案件では教育や採用だけでなくライティングも担当したり、仕事の幅はないに等しいのかもしれません(笑)。

また、akeruにはオフィスはありますが、仕事内容や気分によって、家やコワーキングスペース、カフェなど、自分にとって一番心地よい場所を自由に選択しながら働いています。県外や海外からakeruの仕事をしていたり、ほかの会社の仕事を並行してakeruに関わってくれていたりするメンバーもいますね。それぞれのライフスタイルに合わせてフレキシブルに働けるので、作業効率も高まっていると感じています。

画像1

ー地方では珍しい働き方ですよね。

akeruは入社2年間は月給(固定給)制で、3年目以降は成果報酬制になるのも県内では珍しい形態かなと思っています。立ち上げて2年間で、すでにメンバーの仕事のかかわり方や働き方は変化しているのが面白いですね。今後5年10年経つとどうなっているか、僕ですら想像が及ばない部分があります。

高校生の時の夢はいつか経営者になること


ーakeruを立ち上げたのは、大連さん自身の経験が大きくかかわっていると思います。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう?

小学生の時に卓球を始めて高校ではインターハイにでるほど打ち込んでいました。勉強もスポーツもそつなくこなし、学級委員や応援団など前にでるポジションが多かったように思います。一言でいうと優等生タイプでしたが、母一人子一人で育ったこともあり、いろんな面で偏りがないよう、常にバランスを取ることは意識していましたね。辛いことや難しい問題が起こっても、人に頼ったり相談したりするよりも、自分で気持ちを整理して解決するタイプだったなと思っています。


ー将来の夢はあったんですか?

小学生の時は宇宙飛行士、中学生では設計士などその時々で将来の夢はありましたが、高校の頃にはいつか経営者になりたいという思いがありましたね。進学した福井の大学では経営学部だったのですが、それなりに結構遊んでいて、いろんな意味で充実していました(笑)。卒業後は県外に出ることももちろん頭の片隅にはありましたが、当時は漠然とした不安もあって。独立するにもまず働くならベンチャー企業だと思い、就職活動を始めました。そんな時に同じゼミの友人から福井県内でネットの販売代理業を行う「ALL CONNECT」という会社を教えてもらったんです。会社説明会に行くと、経営者の岩井(宏太)さんの言葉が良くて。


ーどんな言葉だったんですか?

「雨が降っても自分のせい」っていう言葉です。例えば、急に雨が降ると道路が混んで約束の時間に遅れてしまうかもしれない。でも、あらかじめ起きるかもしれないことを想定して手立てを打っていれば必ず対応できる。すべては自分たちの対応次第だ、というベンチャーならではのストイックな姿勢がいいなと思い入社を決めました。法人営業を経て人事を担当させていただき、独立するまでの約5年間お世話になりました。

自分の子どもに誇れる選択をしたい


ー当時は会社のなかでも最年少で人事を担当したと聞きました。そのまま会社にいても順風満帆なキャリアだったと思うのですが、20代で起業を決めたのはなぜですか?

「企業にいて人事のプロとして箔をつけてから独立するか、自分の気持ちに正直になって20代のうちに独立するか」。将来、もし自分の子供に聞かれたら後者の方が誇らしいと思ったからです。若いうちにチャレンジすればたとえ失敗しても何とかなると思っていました。何より、20代で独立・起業したら目立ちますしね(笑)。

あとは人事で採用にもかかわるなかで、地方での働き方をもっと模索できるのではという思いがあったことも理由の一つですね。そもそも福井で人事経験者で転職する人はいても、独立する人はほとんどいません。僕自身が地方で働くサンプルの一つになって、後に続く人たちに自分の働き方を見てもらいたいという思いがあり、28歳の時にakeruの前身となる株式会社リンクメーカーを立ち上げました。

画像2

ーリンクメーカーではどんなことを?

前職の経験を活かし、県内企業の新卒採用のコンサルティングを手がけていました。ただ学生の数を集めて応募してもらうのではなく、いかに企業の求める人材とマッチングさせるか。課題を見つけながらひと味違う採用の企画を考えていました。とある建設会社では建設中の新幹線の高架で内定式をやったこともありましたね。でも、採用をメインにかかわるうちに問題点にも気づいてしまって。


ー問題点とは?

採用でいい人が来たとしても、入社してからコミットできなければ企業の変化を起こすのは難しいということです。大切なのは「何人応募が来ました・採用できました」という一時的な結果ではなく、入社した人が企業のなかでどのように活躍し、自分たちの可能性を広げていくか。そこで採用という一部分だけの関わり方はやめ、クライアントと長期的な関係性を築きつつ、僕たち自身も地方でどう働くかを模索するakeruの立ち上げにつながっていきます。


後編に続く



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?