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【端麗な冷淡】

【端麗な冷淡】
地元駅の平日昼間は、下校の高校生のほか、どこからどこへ向かうのか、老人が目立ちます。
中には杖を突きながら、2メートルあたり1分は掛かりそうなおじさんもいます。

ついぞ人間は「ああはなりたくないな」と思うものですが、それには二通りあるんではないかと思います。

一つには
「あんなになるのが怖い、なりたくない、なりたくない、絶対なりたくない!!」
という〈イメージ〉。

いま一つには、私みたいに
「膝が故障するのは危険だな」
と思うだけで、実は歳を重ねても〈快い今の歩き方しかイメージしていない〉人。
大きく分かれると思います。

なぜ私が執念深く、スピリチュアル紛いなカルトの共感(俗にいう霊感)に対する批判を繰り返すのかと言えば上が理由です。
ん、わかんない!?

気づかす私たちは、現実を見ていると思いながら、潜在意識下で「イメージ」を見て感情を起こします。
そして感情が強く働いたイメージほど、潜在意識が受け取り、《自分はこう考える人》《自分はこう受け止める人》というセルフ・イメージを形作ります。

望むと望まざるとに関わらずなので、望まない自分を感じた時、人は変わりたいと思うのだと思いますが、この時に本意のなりたい自分になる自覚の仕方と、なりたくない不本意に突き進む自覚の仕方があります・・・。

気になった人、おうおう続きを話せ! という人。コメントお待ちしています。

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