高校の先生が高校に通う意味を考える。

先日、勤務先の学校でもマスクというドレスコートで卒業式が行われました。

卒業生・その保護者・教員のみの卒業式です。

実は私は卒業式に参加していないのですが(理由は息子の体調不良。下痢。)

私と一緒に学校に入学した生徒の卒業式だったのですが、果たして彼らは高校に通った意味があったのかなぁって思うのです。

確かに、お勉強のできない(しようとしない)生徒たちのことを考えると、「高卒」という学歴をゲットし、「新卒」と「学校からの推薦」という武器を駆使して勤め人として就職するためには、高校に3年間通うということに意味はあるのでしょう。

むしろ「底辺校」とも言える学校でも、学校での勉強と部活動の活躍で、県内の大手企業に就職できるので、うまく利用すれば中堅校の成績下位者よりも堅実な人生設計を作ることができるのです。(大手企業とはいえ、一般職なので、仕事のあとに勉強しようとすれば副業でお金を稼ぐこともできるでしょうし)

ただ、大学に進学したい生徒にとっては、はっきり言って「進学むけ」の授業を提供することは無理。

勉強ができない生徒を卒業させるための授業を展開せざるを得ないので、大学進学の勉強は一人でやるか、塾や予備校に通うしかないのです。

それは特進コースと言われるクラスでも同じで

私の専門科目は数学なのですが、生徒たちは数学どころか算数もままならない典型的な文系タイプの生徒達がほとんどなので、「受験の数学」を教えることがほぼなく、受験指導に関してはヘッポコでどうしようもないのですが、文系科目の先生達の定期考査を見ると、うーーーん。テストの意味あるのかな・・・・と思うものもある・・・。

結果、今年の生徒達の中で四大進学が決まった生徒達は、「出席日数が足りなくて赤点」で、夏休みや冬休みに学校で補充授業を受けるような生徒ばかり。。。そうでない生徒も他塾に行ってるわけで・・・。つまり、学校での勉強は無意味なんですよ。時間の無駄。はっきり言って、時間の無駄。

たいして勉強しなくても就職・進学するための資格を得るためと、同世代のクラスメイトと仲良くする・お友達に会いに行くことが、高校に通う意味になるのかな。

友達と話しながら登下校するとか、校則で禁止されているのに放課後にマックやファミレスで駄弁ったりゲームしたりたまに試験勉強したり、休み時間に腕相撲したり腹筋自慢したり、歌ったり踊ったりマンガの貸し借りしたり、帰り道のコンビニで買い食いしたり。授業以外のことを楽しむために、高校はあるんだと思う。

(これ、学校の先生が言っていいのかね。でもなぁ、底辺校の生徒からしたら、学校行事も勉強も興味はないからなぁ。)

3年間の高校生活で、「進路の決定」「友達ができる」のどちらかを満たしていれば、高校に通った意味はあると、私は思うのです。


ただね、どうしてもいるんですよね。「進路決まらずに卒業」「友達いない」まま卒業する生徒・・・。


そして、そういう生徒に限って学校外で何か活動をしているようなタイプではないし、先生側からも煙たがられるタイプ・・・。友達欲しいって言ってるクセにナチュラルに人を傷つけるので・・・。


そういう生徒を作らないように、学校側も努力はしているんだけども。進路指導で。

どうすることもできないまま、本当に3年間を無駄にしてしまう生徒が一定数いるんですよね・・・。

うーーーん。


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