私だって死にたい。でも死なない。

年末に、ショッキングな出来事が起こった。
あくまで個人的というか、職場内でのショッキングな出来事で、後味悪い2021年になってしまった。

ショッキングな出来事は、2022年にも起こるわけで
こちらに関しては大きなニュースになった「東大で高校三年生が高校二年生に刺された」件。

「どうせ死ぬなら他の人を殺してから死にたい。死刑になりたい」

東大で事件を起こした高校生の発言とは異なるけれど、こういった主旨で事件を起こした人がこの一年であまりにも多くて、怖い・・・と思ってしまう今日この頃。

大変申し訳ないのだけど、「自分が死にたいから、最後に面識のない人に危害を加える人」の気持ちが私には理解できない。
いや、「死にたい」という願望を持っている人の気持ちはわかる。
「死にたい」というより「消えたい」願望かもしれないが。
私にも「この世から自分がいなくなれば、きっと自分の周りの人間の人生が上手く回るんだろうな」としか考えられなくなることがあったからだ。

「自分さえいなければ、親が進学費用に悩むこともなかったのに」
「兄弟が自分のことを厄介者と思っているから、自分なんて消えた方がいい」
「どうせ自分なんかいないほうが友達は楽しいんでしょ」
「自分さえいなくなれば、夫も不倫相手といつまでもラブラブできるんだからきっと今よりも幸せになるでしょ」

こういう考えを持ってしまう人の気持ちがよくわかる。
というか、最後の例は私の例である。
もっと言ってしまえば、私の口癖は「死にたい」である。
これは小学4年生くらいから変わらない。
なんなら息子に対して「死にたい」という。
教育上、本当によろしくない母親である。

しかし私は死のうとはこれっぽっちも思っていないし、実際に自傷行為をしたのは後にも先にも塾での成績低下と学校での幼馴染の引っ掻き回しによる居場所のなさでどうしようもなかった小学5年生の秋の一回のみである。
ベッドにバスタオルをくくりつけて自分の貧弱な筋肉を使って首を吊るというあまりにずさんな方法で、息苦しさよりも先にオナラが出てしまったために馬鹿らしくなって中断したという結末で、「自傷行為」の部類に入るかも微妙である。
ちなみに「絶対に死んでからも人に迷惑かける死に方はしない」と心に誓ったのは2001年のテレビ朝日系ドラマ「お前の諭吉が泣いている」第1話をみてからである。
簡潔にまとめると、学校の屋上から飛び降り自殺をしようとする男子生徒に対して東山紀之が演じる「ケッペキ」が説得し、ことなきを得ると言ったよくあるお話なのだが、説得内容は飛び降り自殺を行うことで親御さんが葬儀や損害賠償で支払わなくてはならない金額をコンコンと説明し、最後に「お前の諭吉が泣いている」という決め台詞。
・・・そうか、自殺するのであれば、やっぱり一人でひっそりとやるべきだな・・・と当時中学2年生の私は思ったものである。
JR横浜線の人身事故のたびに遅刻ギリギリになってしまうクラスメイトも「どうせ死ぬなら人に迷惑かけずに首を吊って死んでくれ」って言ってたしな・・・電車の人身事故って損害賠償金がばかにならないし・・・
不謹慎で申し訳ないが、周りを巻き込んでの自殺の場合、残された遺族にのしかかるのは精神的ダメージだけではない。葬儀に関する費用・巻き込まれた人や企業に対しての損害賠償費用・遺品整理・遺族に対しての近所からの風評被害・・・と物理的なダメージもあまりにも大きいのである。
そんな苦しい思いを家族にして欲しくないのである。
例え家族がいなくなって孤立無縁になったとて、私の場合は苗字が珍しいので事件の1つでも起こしてしまったらきっと同じ苗字の人に迷惑がかかってしまう。

なので「お前を殺して俺も死ぬ」行為を犯す人の気持ちがわからないし、やろうとも思わない。
死にたいと思う気持ちをどうにかしなさいとは言わない。だって生きにくいもの、今の日本。
私だって今日だけで「死にたい」って二回はつぶやいた。それだけやるせないんだよ、なんかいろいろと。
でも、関係ない人を巻き添えになんかしちゃダメなんだよ。

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