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フィリピン選挙?コンサートでしょ

フィリピンの人には音楽がやっぱり大事なんだなぁ。5月のフィリピン大統領選を前につくづく思います。

3年前の上院議員選挙で、ドゥテルテ大統領ひきいる与党の集会を取材したときにびっくりしたのですが、候補者それぞれに、プロレスラーの登場のときのようなテーマ曲があって、紹介の際に必ずその曲がかかる。この音楽がまた、一度聞いたら一日中、いや、3年たっても覚えているぐらい、すごくいい曲ばかりなのです。つくっている人、天才だと思います。

2019年の上院選の集会に参加したドゥテルテ大統領(中央)ら

ちなみに、ドゥテルテ大統領のテーマ曲はアコギでたらりらたらりら…と弾き語る曲で、フレディー・アギラという著名な歌手が歌うんですが、これがまたいい歌。「ばか」「殺す」といったやばいイメージじゃなく、寛容なタタイ(父)を思わせるイメージ戦略ですね。

さて、そのドゥテルテさんの「次」を決める大統領選挙が5月9日にせまっています。一番人気のボンボン・マルコス候補と2番手のレニ・ロブレド候補の一騎打ちとみられ、支持者もツイッターやフェイスブックで「集会に20万人集まった!」「こっちは22万人だ!」と熱くたたかっています。

会場は大雨で水びたしの泥だらけ

マニラから飛行機で1時間半ほどの、レイテ島タクロバン市で4月9日にあったボンボン・マルコスの集会を見に行ってきました。会場は屋外のスポーツ施設。台風が近づいてずっと雨なのに、開始時間の午後1時にはすでに大勢の人が集まっていました。

ステージを囲む屋根つきの座席には、赤シャツを着た「マルコス熱狂支持者」とみられる人たちが静かにすわっています。そしてステージに近い中央には、主に10代から20代と見られる若い人がどっと集まっていました。私もこのアリーナへ。大雨で足もとはぬかるみ、まるで田植えのように足がはまって、はいていたビーチサンダルは2回壊れ、ジーンズは泥だらけになりました。

足もとは田植え状態

それにしても、なんでこんなに若い人が選挙集会に集まるのか。それは、有名な歌手らを迎えたコンサートが無料で開かれるからです!

ボンボン・マルコスの写真付きシャツを着て集まった人たち

この日はトニ・ゴンザガという歌手のほか、レゲエやポップスの歌手が登壇。フィリピンのヒット曲や、ボブ・マーレー、ビヨンセの曲を歌うと、参加者はキャーッと叫び、ピースサインを掲げてジャンプしながらノリノリで踊ります。私も90年代のフィリピンのヒット曲「Himala」が合唱されるのを聞いて、「いい歌は歌い継がれるのね……」などと感動しながら声を合わせてしまいました。

歌手と一緒に歌って楽しそうな人たち

ときおり、マルコス陣営から上院選に出る候補者らが登壇し、観衆を笑わせるようなスピーチをしたり、おどけて踊ったりして名前をアピール。コメディアンの司会者が「私たちは人間、タマネギじゃない!」と叫び、「お金ももらってない!」と参加者が連呼する場面も。マルコス陣営が「フォトショップで写真を加工し、集会の参加者が多いように見せている」とか「参加者に金を払っている」という批判を否定するためのやりとりでした。

5時間待ってついに登場したボンボン・マルコス候補

大雨の中、びしょぬれで、トイレも行かず、もってきたクラッカーを口にいれるだけで、隣の人と密着しながら泥の上に立ち続けて5時間超。あー寒い、腰痛いーと思い始めた午後6時20分ごろ、ボンボン・マルコスがやっと舞台に現れました。ひっぱるよね。私が理解できた範囲では、具体的な政策をアピールするというより、「母イメルダに自分よりイケメンを舞台に上げてはいけないと注意されたけど」と自分の息子を紹介したり、フィリピン人としての愛国を訴えたりする内容だと感じました。

BBM!と叫ぶ人たち

終幕にバーンと真上に花火がいくつも上がると、アリーナの人たちも興奮状態で「BBM! BBM!」とボンボン・マルコスの愛称を連呼します。さて、彼らのうちどのくらいの人が実際に投票するのかな、と興味がわきます。コンサート目当ての人が相当数いてもおかしくはない。おふざけや音楽にのせられてない?という気にもなってしまいます。

あ、なんか花火見るのすごい久しぶり……と思ったり

若い世代の投票動向は読みにくいと言われます。ただ、帰り道に声をかけたアシュリンさん(18)は、「自分の家族にマルコスはいい人だと聞いているし、自分でも調べてそう思っている」と、初めて投票する大統領選でマルコスに入れると言いました。ジェロールさん(24)も「父親のマルコス元大統領のやり遂げたレガシーを評価しているから、マルコスに投票する」

海を歩くようですが、運動場です

この二人が話した内容は、多くの若いマルコス支持者から聞く言葉です。父親のマルコス元大統領は「独裁者」と呼ばれ、1986年の「ピープルパワー革命」で一家は国外に追放されたのですが、そのイメージはとてもよいものに変わっています。いったいどうやってここまで変わったのか……。

帰り道はなかなかジープニーを拾えず、すっかり風邪をひいてしまいましたが、いろいろ考えさせられる集会でした。

雨どいを伝う水をシャワーに、泥だらけの足を洗います


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