[雑記]芸者東京の思い出〜その4:スマホ編〜

芸者東京でのスマホ時代のポケモンを作るというタイセイさんの大号令、今でこそポケモンGOが流行っているもの当時はそんなものはなかった。パズドラが出たか出ないかの時期。グラブルもなかった2012〜2013年くらい。拡散性ミリオンアーサーは出てた気がする。

社内コードネームはAegis。どれくらい工期をかけたか忘れてしまったけれども、一年近く作っていた気がする。ガワネイティブで作り込んであって、ボール投げてモンスターを捕まえるゲーム。技の付け替えが楽しいゲームで、いろんなところにガチャに見えないガチャが仕掛けてあるゲームだった。

そこそこの工数を使って作り込んだところで、ゲームを真剣にプレイしたタイセイさんが「このゲームは怖い、これはゲームするのが怖い」とプロジェクトを畳んでしまいました。「これはモテない、お前ら面白いって言うけどその前にこのゲームやらへんねん、付き合ってみたら良い人なんだよ、って言う人とは付き合わんやろ、だから最初に怖いと思わせたらだめ」みたいなことを言われていたような気がします。

前日までは「いいじゃん、いいじゃん、超いいじゃん」と言っていたのでプロジェクトメンバのみんなは寝耳に水で、納得していない様子の人がほとんどでした。それなりに力を入れて作っていたし、このことは大変残念だったし、畳んだあたりでグラブルが出て、ガワネイティブじゃん!と思ったし、未だに出てれば流行ったんじゃないか、と思わないことはないけれども、何よりもプロジェクトを畳む胆力すげえな、というのが一番大きかったです。

人件費やサーバー代とか込むと総額で1億くらいは使っていたと思うんですよね、それを計算による手のひら返しなのか感情による手のひら返しなのか今考えてもよく分からないのだけれども、サクッと終わらせる胆力すげえな、ってのが自分が一番強く思ったことでした。

社員の人数も増えていたし、明らかに日々は赤字だったろうし、会社としては収益を出さないと行けない時期だった。だけどリリースせずに畳むその胆力は凄まじいものに見えたのです。

ぜったいスマホ時代のポケモンを作るんだと力を入れたプロジェクトが畳まれてしまい、僕を含め、怒り狂った社員たちが三ヶ月で作り上げて、サービスリリースまでこぎつけたネイティブアプリが脳トレクエストというアプリでした。

当時iOSのネイティブの開発経験があるメンバがあまりいなくて、苦戦しながらも三ヶ月で作り上げました。ほんと怒り狂って作りあげたというのが正しい表現でしょう。脳トレというマジョリティにリーチしそうな題材とソーシャルゲームを組み合わせて、ゲームを作ったのです。

久しぶりにリリースできるゲームができて社内は湧きました。そもそも新しくリリースできるゲームがない会社になってしまっている時期だったので、リリース出来ること自体がつちのこ状態だったのです。

しかしこのゲームにも大きな問題があったのです…

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