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劣等感を克服しようとしない

劣等感とは自分が自覚できていないので劣等感となっています。私たちはこの自覚できていない劣等感によって苦しめられている事がほとんどではないかと思います。
劣等感によって苦しんでいるのに、自分のせい、他人のせい、社会のせい、環境のせいだと原因を劣等感以外のものだと思い、無意識に劣等感を克服すべく苦しんでいると思うのです。
先日、神田沙也加さんの訃報がありました。私の勝手な推測ですが、おそらくものすごく強い劣等感と戦い続けた生涯だったのではないかと思うのです。
有名な一流芸能人の両親で、ご本人も恵まれた才能を持ち、ご本人の努力で数々の名作で活躍してこられました。一見何の問題もないように思われます。
でもこのような訃報という事実から、彼女の苦しみを理解しようとする事が、世の中にとっても大切な事だと思のです。
彼女は「本物になりたい」「ここに居ていいんだ」と、仕事の中に自分の居場所を見出そうとしている言葉を残していました。また仕事に対して自分にとても厳しかったようです。演出家がOKを出しても、彼女自身が自分にOKを出さない事もあったようです。
また、「話をする時、相手が自分を見ているのではなく、両親を見て話をしているように感じると悲しい」というような事も語っていたようです。
私は沙也加さんの心の内を想像して胸がつまりました。彼女の心の内ではきっとこんな思いがあったのではないでしょうか。「誰も私を一人の人間として認めてくれない。両親の間でも居場所がない。一流芸能人である両親に迷惑はかけられない。自分で自分の道を切り開く以外に私の居場所はない。」
「両親を通して私を見ないで。私は私。自分の力のみで自分の道を切り開くのだ。」というような悲痛な叫びが私には感じられて、そのための努力というのは相当なものだったのではないかと想像します。
ご両親は沙也加さんの状況をどう捉えていたのでしょう。一人で活躍できるようになって本当にうれしいと思っていたのかもしれません。彼女が本当にやりたい事に一生懸命に取り組み、成果が認められてきたのだと。
でも私は彼女が目指していたのは、芸能の世界で成功する事ではなくて、劣等感を克服する事であったように思うのです。
彼女の劣等感はわかりやすい言葉で言ってしまうと「親の七光り」、また両親は彼女にとって純粋なただの両親ではなくて、世間においてスターである母親、父親であり、彼女だけの甘えられる存在とは、少し違っていたのかもしれません。
このような事が劣等感だとすると、この劣等感を克服する事なんて無理なのです。
どんなに努力しようと、どんなに活躍しようと、どんなに周りが認めてくれようと無理なのです。なぜなら、彼女自身が、彼女の運命を受け入れていないからなのです。
運命を受け入れるとはどういう事かと言うと「私は一流芸能人の両親を持つ子供だから、必ず両親のイメージが付いて回る。でもその境遇も私の才能。現実に才能のある両親のDNAを受け継いでいるのだから。だからその才能を受け入れて自信を持って生きていけばいい。両親あっての私で生きていけばいい。」このような開き直りが運命を受け入れる心ではないかと思うのです。
でも世間の声が彼女をそうさせなかったのかもしれません。また両親の期待も感じていたのかもしれません。
劣等感は克服するものではないのです。認めて受け入れると流す事ができるのです。こだわる事がなくなるのです。これが本当の劣等感の克服という事になるのです。
沙也加さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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