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それぞれの10年




手にベトベトしたヘアワックスを付けて髪を整える自分が鏡越しに揺れている。

昨日飲み過ぎたかもな、とくらくらと頭痛のように感じられたものは、じわじわと全身に伝わっていき、数秒後にしてようやく地震であることに気がついた。



武蔵小金井、シェアハウス、20歳。

大学2年生の春、長期休暇を使って、テレビで見た芸能界に憧れを抱き、そのまま表面上だけを綺麗にすくって、いまにもこぼれそうな勢いのまま期間限定で上京し、土地感覚もなく、東京から少し離れた中央線沿いの武蔵小金井に、シェアハウスの清掃員、通称フリーアコモデーションとして、インターネットの情報だけを頼りに働き始めた矢先の出来事であった。







富士急ハイランド近くで借りたレンタサイクルに乗り、行きたかった蕎麦屋さんをスマートフォンで調べると、思いのほか田舎道の奥まった場所にあった。

ランチタイムギリギリの焦る気持ちでイライラしている時に、町内に設置されたスピーカーから震災があった時刻を伝える放送があり、周りには誰もいなく、川のせせらぎと鳥のさえずりだけが脳内に響き、静かに心を落ち着かせて黙祷することができた。

15時ギリギリで入ったにも関わらず、温かい店員さんに案内され、美味しい蕎麦が身体に染み渡った。



山梨、蕎麦屋さん、25歳。

上京してから4年、ニューヨークのアクターズスタジオで初の東洋人の正会員となった有名な俳優講師がいる静岡で演技講座があり、一泊二日の弾丸で訪れる。







「休憩終わったら、あっちの方向に黙祷で」

現在働いている群馬の工場から北東方面に東北地方があり、日夜組み立ての流れ作業をしている車がライン場を流れていくのは、いわば、茨城の水戸方面から栃木、群馬を超えて、石川の日本海方面へ。

1分間、東北地方に向けて黙祷する自分の右方面、すなわち南東方面には東京がある、ということも感じながら、ああ、10年前には東京から武蔵小金井の地理感覚もなかったのになあ、としみじみ。



群馬、工場、30歳。

俳優活動を辞めて、工場で働き始めて1年半。




あの日鏡越しに見た自分が揺れていたように、迫り来る日常の軌跡で人生が揺れる。

10年という月日の中の1分間を寄せ集めると、自分の人生も他人それぞれの人生の一つかのように客観的に見れるようで、

「そうか、まあ色々あったんやろうけど、元気そうでなにより」

という、久々に会った友達の話に寄り添うみたく、その余白に愛おしさと労りを添えて。






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