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ラフティング in吉野川


暑い。いよいよ夏になった。

ほんの2週間前に夏の匂いを今年はじめて嗅いだ。
朝、9時に家を出て、アパート隣の草の生い茂る三角の公園の横を通ったとき、アスファルトが太陽の光で熱されて空気に滲み、草の臭いとまざったような感じがした。
実家のあるあの山の麓も、大学生のときに暮らした電車道沿いの学生寮も、夏の匂いは同じだ。

夏といえば川。泳ぎに行かねばならない。
そう毎年泳ぐ約束をした「集い」がある。
7月上旬、今年も泳ぎに行く日が来た。

四国吉野川へ。

1日目はラフティング、2日目は普通に川遊びを予定していた行程は、初日のラフティングを経て、2日目はさらにハードなラフティングをすることに急遽変更することなった。
初日が良すぎたためである。

上流のダムは梅雨で水を大いに蓄え、水量は豊富、良いガイドさんに当たり、メンバーの体調も良好。

急な瀬をくだるときの全神経を剥き出しにする感覚、容赦ない水飛沫、川中へ放り込まれたときの無力感。緩やかな流れに全てを預けて緑の間に遠く広がる空の美しさは何にも変えがたい。

ラフティング二日目
午前は前日と同じルートを倍速で進むことになった。昼はベースにもどり、セルフベーグルサンド食べ放題となる。これも楽しかった。そして午後はより激しい小歩危方面へ向かった。


最後の瀬は、ガイドさんより、ボートから降りて流れても良いよと言われて、全員がボートから降りた。

ここを下れば終わりという寂しさもあったが、ボートを降りてから瀬までが思いのほか短く、焦った様子のガイドさんの言うとおり目の前の人のYのライフジャケットを掴むなり、助走なしに吉野川に飲まれることになった。

一つ目の大きな流れを乗り越えてなんとか息継ぎするも、薄目でボヤける視界では既に先頭が飛沫ともにもう一度水中に消えていった。

午前中、こんな瀬の中ボートから川にTが吹き飛んでいった人がいた。ボート右サイドにいたHが、左にいたガイドさんを乗り越えて飛んでいったこともあった。2人は激流に飲まれしばらく視界から消えて、瀬の下でボートに戻った。
ガイドさんがそのあとで
「瀬で落ちたら、大きく口で息吸ってからあとは水中で止めとくのがいいね。」
みたいなことを言っていたと走馬灯のように思い出した。

そしてこのあと沈むとしばらくは息ができないんだと思った。

激しい水流によって前の人が沈む。私も沈む。
また新しい流れに押されて、右に左に振り回される。息を止めていても鼻には容赦なく川の水が流れ入ってくる。咳き込む空気がない。水を掻こうと前のライフジャケットを手放しかけるが、激しい流れに引っ張られ再びしがみつく。
いよいよ苦しい。

前のライフジャケットは、明るく光の差し込む川と泡沫の中に美しく心強いオレンジ。

またゴゴゴと水流が顔を叩いて目を瞑った。
一向に水面にあがらず本気でもうダメだと思った。

気づいたら瀬は終わっていた。
カヌーのサポートガイドさんが「ナイス!」とか言いながら青い空と緑をバックに手を叩いていた。
むせかえりながら振り返ると、みんな同じ様子だった。

そういえばこれが川だった。
こうじゃなきゃ吉野川じゃない、と思い出した。

熱い夏が来た。

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