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私はまだ若く、私はもう若くない。

「自分が子供のころ、40歳は超大人で立派な人ばかりだと思ってたけど、自分が40歳になってみたら、全然大人じゃなかった。漫画も読むしゲームもする。もっと威厳のあるのが大人だと思っていた。」

よく聞く話。
実際そうだ。

私、齢、45歳になるものの、坊主でパーカーを着てウクレレを弾き、スマホ片手に地元のサッカーチームを応援する日常。
ちっとも威厳なんてない。

当然、地域の御大達には、若いんだからもっとガンガンやってくれ、とか、あれやれ、これやれ。と小間使いにされるのが今だし、これはまだ10年単位で続く立ち位置だと思われる。

ところで、先日のイベントの話。まだ引っ張る。
一緒に活動するNPOの仲間は20歳代も沢山いる。彼らは私の半分くらいの年齢。
さらにはイベント運営手伝ってくれた高校生は30歳も年下。息子達の世代である。

彼らから見れば、45歳の私というのはそこそこ大人だし、下手すりゃ老害の部類に入りかねない。真面目に討論するにもハードルはあるだろうし、圧を掛ければ怖いか面倒くさいか、だろう。
立派におじさんである。
彼らにとって私は若くない。

つまり、私は若いし、若くない。

ということは、若いか、若くないか。これは実に他人軸の相対評価であって、見る人、見る環境、見るタイミング、に影響された、実に曖昧な表現であるという事になる。
つまりは、、、「どーでもいい」「どっちでもいい」ということだ。

では自分目線でどうか。

私の人生的には、多少急いで生きた感はあるので、それほど寿命は長くない。多分80歳没くらいが良い所でしょう。これでも相当欲張っている。
しかしここ数年、農家となって実に健康的な生活を送っていることと、この先の医療の進歩を勘案すると、90歳没くらいを想定してもあながち悪くないだろう。
とすると、、、残り45年。

現在進行形の40歳代が残り5年なので、コレは現状の目標を進めるにして、10年単位でやりたいことを片付けていくと残り4つしか大きな課題にはチャレンジできない。やや、4つはチャレンジできる。ととるべきか。

そう思えば、やりたいことも選択と集中ができる。

ちなみに、20歳の頃、初めて働き始めた会社の先輩から「やりたいこと、やり始めたことは最低10年くらいやれ、すぐ辞めるのは人生経験としても良くないから、簡単には辞めるな」と言われて育ってきた。
忠実に?20歳代はエンジニアとして、30歳代はUターンで地元企業へ、40歳代は農家と地域貢献として、およそ10年単位で舵取りして過ごすようにしている。なんて忠実な良い後輩だろう。そういえば星野先輩は元気に生きているだろうか?w
30歳の時に、一応死ぬまでのストーリーは一度作ったのだが、40歳代が終わる前にもう一度アップデートせねば。流れるまま生きるのは私には性が合わない。10年単位で目標を立てて…ガッついて生きる。それこそ私流。

若いか、若くないか、ではなく、
私の絶対時間は有限である。

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