見出し画像

旅するキノコ #1 はじめの一歩

 阿房(あほう)と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。
「特別阿房列車」(内田百閒 ちくま文庫より)

 先月から家に引きこもり、じーっと世の中を眺めてます。TVやweb上では様々な才能や知識のある方が、様々な技能や才能、言葉や音を世の中に発信してくれています。
 そんな時にふと「じゃ、あたしは何か人よりも抜け出たものがあるのかい?」と自問自答してしまうことが多々ありました。それと同時に「とにかくあたしってのは一体なにがしたいのか、どんな人間なのか?」って自問自答もぐるぐると頭をめぐるようになりました。じぶん探しウィルスとでも名付けましょうか。半世紀近くも生きてきて「じぶん」ってものをつかむこともできずにゴロゴロと寝返りをうっていたのが、この2ヶ月間だったのかもしれません。

 いまだにもちろん「わたし」なんてものは見つかりませんし、実は見つける気もさらさら無いのですが(おい!)、ま、何となく「わたしの成分」みたいなものは見つかってきたような気もします。というか、再確認したのか。。ま、そんな感じです。

 わたしの半世紀は、ひとことで言えば「旅」でした。色々なところに出かけ、色々な人に会って、色々なものに出会ってきました。それは「遠くに行く」というような大げさなものではなく、毎日通っている場所でも、季節が違えば、日付が違えば、出会う人が違えば、全ては「旅」のようなものです。その「旅」のことを、この先は少しずつ書いていこうかな、と思った次第です。今まで通り書きたいことも書きますが、その合間合間に思いついたら「旅」の話でも。そんな程度の気持ちで書いていこうかなという感じです。。

 文体も今日ここまでは、ですます、で書いていますが、これも旅の気分、その都度変わると思います。ま、あまりそこは気にしないでいただけると助かります。内田百閒先生じゃないけれど、用事がなくたって旅に行きたくなったら行きますし、文章だって書くことがなくたって書きたくなったら書きます。ま、それでいいかな、とね。そんな感じでゆるく半生をたまに振り返ろうかと思います。

さあ、はじまりはじまり。


 旅の印象は季節によってずいぶんちがう。乗り物や宿の状態によっても左右される。旅行者の年齢と関心の持ち方、その時の気分、同行者の有無などの要因も無視できない。そのほかにもいろいろあるだろう。あまりいろいろがあって結果は各人各様となるから、旅の印象は旅行者自身がつくりだすもの、といった観さえある。そこに旅の楽しさや効用があるのかもしれない。
「汽車旅12ヶ月」(宮脇俊三 河出文庫より)

 私の最初の旅は何だったのだろう。聞いた話だと両親の故郷である島根県の病院で生まれ、その3ヶ月後に神奈川の自宅に帰るために、生まれて初めて飛行機に乗ったらしい。米子空港から羽田空港へ。今でもその時のドキドキは覚えている…はずもなく、あくまでも両親から聞かされた話。それが最初の旅としておこうかな、とりあえずね。

 何年か前に他界した父親は「文学者」なるものを目指していたらしく、職を転々としながら同人誌やらなにやらを作ったりしていたらしい。家の中も本だらけだった。家の中に本がたくさんあったことは覚えているけれど、家に父がいた記憶はあまり無い。たまに帰ってきちゃあ、また出ていくような人。何をしているのかよくわからない人。そんな感じの人だった。
 
 10歳くらいの頃だったか、近所の飲み屋に父を迎えに行った時に店のカウンターでふと私は「人は何のために生きているのか?」と聞いたことがある。酔った父は即答。「それを探すために生きている」だった。いま思えば、なんとまあ子どもだましの答えであることか、とこちらが恥ずかしくなるような答えだったけど、ま、いいか。意外と子ども的にだまされた言葉だった。

 そんな父だから、普段の生活は母と2人きりのことがほとんど。そんな母も教員だったこともあり、なかなか家にいない。家にいても毎日夜遅くまで仕事。ただ今と違っていたのは、夏・冬・春の休みだけは少し時間がたくさんあった(今の先生は休み中も色々忙しいからね)。そのような長期のお休みの時に、たくさんの場所に旅行に連れて行ってもらった。大人になってから母に聞いたけど旅行の目的は、母としては「罪滅ぼし」だったそう。。それでも結果的にこの「罪滅ぼし」が私の人生を決定的に「旅」の方面に導いたことになるから、大感謝。今でいう「鉄道オタク」の「乗り鉄」だった私にとっては、とても良い「旅」をたくさんさせてもらった。

 子どもの頃の旅は、ほぼ全てが鉄道。あとはバスやら船やら。寝台列車や特急、急行に各駅停車。自家用車なんて誰も持っていない時代、色々な列車に乗って日本中を旅した。いちばん古い記憶をたどると、保育園に通っていた時の阿蘇への旅行だったかな。祖父と父がいたような気がする。父がいるのは珍しい。その後の旅行の多くは母と2人のものだったはずなのでね。ちなみに先日、ちょっとだけ、1時間だけ(笑)熊本県に足を踏み入れたんだけど、これが熊本県へ40年以上ぶりの訪問。同じ場所に行ったわけじゃないんだけど、なんだかちょっとしみじみしてしまったね。

 そんな感じで私の「旅」は1971年にスタート。この続きの話はまたいずれ。
 
 旅ばかりしているから、色々な人にこう聞かれます。「何を目的に、旅をしているの?」とね。私の答えはもうお分かりかな?

 「それを探すために旅をしているんだ」

 ってね。こんな答えじゃ、今は子どももだませないだろうにねぇ。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?