見出し画像

書を捨てず、町には出ずに

 タイトルは寺山修司のもじりで。
 ここ数日、SNS上でよく見かけた言葉。本を読むには絶好の機会ね。

 1997年4月から2003年3月まで、私は図書館員として仕事をしていた。大学に6年もかけて通ってしまったせいで就職もあまりなく、だったら図書館員にでもなるかと大学5年生(!)の時に一念発起して資格を取り、就職した次第。当たり前だけどその当時は、図書館員として60歳まで働くぞ!なんて決意に燃えていた。

 図書館員というのは本を読む仕事、とよく誤解されるけど、実際には違っていて、本当は本を管理し利用者の皆さんの「知りたいこと」を探すお手伝いをする仕事。本はたくさん読むけれど、あくまでもそれは趣味の範囲。お仕事は「調べ物」がメインになる(本を読まない図書館員というのもたくさんいる)。

 図書館というのは知の集積場であるので、本をたくさん読めていいね、とか、さぞかし物知りなんでしょう、と言われるけれど、実際には「なんて世の中には私の知らないことがたくさんあるのだろう」と日々実感させられる仕事でしかない。そんな中で日々、心のなかで唱えていた言葉は

「本当に頭のいい人間とは、たくさん本を読む人間ではなく、どんな本を読めば/どこに行けば/誰に聞けば/欲しい情報を手に入れられるか?を知っている人間だ」

 というものだ。誰に言われたのか、何で読んだのかは全く覚えていないが、これは至極名言、というか「何も知らない私」を助けてくれた言葉だ。人の記憶には限界がある、世界中の全ての本を読むことはできない、と途方に暮れる新人図書館員にはとても心強い言葉だった。

 あれから20年、世界は劇的に変化して、今や誰でもGoogle先生に聞けばすぐに答えを手に入れられる時代になっている。つまり、誤解を恐れずに言えば「本当に頭のいい人間とは、Google先生を巧みに使いこなす人間」という時代になったのかもしれない。その証拠に、朝の通勤電車の車内を見ても、以前だったら当たり前だった、本を読む・新聞を読む人間がめっきり減ってしまい、今や皆がスマートフォンを片手に通勤時間を過ごしている。

 けれども実はGoogle先生は万能の神ではない。その最大の弱点は「Web上では知っていることしか調べられない」というものだ。つまりは、興味を持ったワード(=既に知っている単語)でしか、検索できないという弱点があるのだ。ひっくり返せば「知らないもの(言葉)は調べられない」ということになる。かなり逆説的な言い方になるが、Google先生相手に人々は「既に知っていることを調べている」という作業を日々行っている。

 Web上では既知のものにしか出会えない、と言うと、いやいやAmazonだってYouTubeだってSpotifyだって知らないものを勧めてくるぜ、という意見が出てくるかもしれない。あえて言うまでも無いかもしれないが、これは未知のものとの出会いではなく「過去の延長線上にある想定可能な未来」への選択肢が提示されているだけの話である。

 本を読む、雑誌を読む、新聞を読む。これはGoogle先生との付き合いと違いパラパラパラとページをめくるだけで、意外なもの、全く興味を持っていなかったものが目に飛び込んでくる。これが本当のブラウジング機能というやつだ。本屋や図書館の中をブラブラ歩くのもこのブラウジング機能が存分に発揮される瞬間だ。YouTubeなどのブラウジング機能とははるかに違う本当の未知との出会いの場である。

 だから、こんな暇な時間がたっぷりある今だからこそ、家にある本を、雑誌を、新聞を、パラパラとめくってみるのがいいかもしれない。既知の情報にあふれるメディアを巡回していても、この私たちがいま体験している未知の世界に対応する術はないのかもしれない。

 書を捨てず、町には出ずに。

 昔読んだ本だって、捨てずに取ってある教科書にだって、いま読めばまた新たな発見があるかもしれない。Web上にはない、テレビにはない、町中にはない、あなたにとっての、あなただけの、未知の発見が。

 本を読もうなんて言わない。本なんて読めば読むほど、見えなかったものが見えるようになってきて混乱し、呆然とするから。ものを知らないほうが生きるのははるかに楽で簡単だ。
 それでも既知のものに飽き飽きしてきたら手を出してみるのもいいかもしれない。

 半月以上自宅にいたのなら、もう飽き飽きしてきたでしょ?
 あなたにとっての未知のものは、本の中に、読書という「孤独な行為」の中にあるのかもしれない。
 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?