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恩返しの法則

いまさら言うまでもありませんが、これまでたくさんの方々にお世話になってきました。

「あの人がいなければいまの自分はない」と自信を持って断言出来る人が少なく見積もっても30人はいる。いやもっといるな。
そもそも恩人なんてものは見積もるようなものではない「忘れるな!」とお叱りを受けるかも知れませんが、まあそれぐらいたくさんの人にお世話になってきたってことです。スマホの中からではございますが、改めて御礼申し上げます。

なんせガキの頃から、いい加減でちゃらんぽらんなところがあって、すぐサボる怠ける。真面目に授業に出てるヤツらを「あいつらはアホや」と後ろ指を指しながら、部活が始まるまで喫茶店やパチンコ屋で時間を潰していた。そんな高校生でした。

そんなはみ出し者でしたから、これまでお世話いただいた方々は、さぞかしお手の煩わせ甲斐のあったことでしょう。血の繋がりのないアカの他人にも関わらず、部活でシゴキ倒してくれた先生をはじめ、社会人になってからは
「そんなことも知らんのか!」
「また口が開いてるぞ、締めろ!」
「スーツのソデでハナふくな!」
と叱り飛ばしてくれた先輩の方々。もちろん、頑張った時には呑みにも連れて行ってくれたし褒めてもくれました。停学になった時にシバキ倒してくれた部活の先生には仲人さんも引き受けてもらいました。

しかし、振り返ってみると、親子でも親類縁者でもないのに、なぜあんなにも愛情と厳しさを持って鍛えてあげ育て上げてくれたのでしょうか?当時のボクが愛くるしかったからでしょうか?
愛くるしかったのは否定しようのない事実ですが、最新のDNA研究によると、どうやらそれが理由ではないようなのです。

最新のDNA研究で発見された仮説によると、
「人は自分が受けた恩を、恩人にダイレクト返すのではなく、繋ぐに相応しい対象を無意識のうちに探し求め、探し求めた人に『恩を繋いでいこう』とする習性がある」というのです。
※ちなみに、研究したのも発見したのも仮説を立てたのもボクです。
参考までに、亀と鶴にその習性はなく、受けた恩をダイレクトに当事者に返そうとする習性しかないことを古文書から突き止めました。

飲み過ぎ食べ過ぎた翌日にジョギングしたくなるように、子供を叱り過ぎた翌日は妙に優しくしてしまうように、受けた恩と言うものも、次へ次へと引き継がないとバランスが取れず、気持ち悪くなり、いたたまれなくなり、罪悪感すら持つようになり、恩を繋ぐに相応しい対象を無意識のうちに探し求めるようになるのでしょうね。

愛情を持って手を差し伸べ、ボクを厳しく育てくれた恩人にも、同じように恩人がいて、その恩人にもやっぱり恩人がいてって考えると、亀や鶴には悪いけれど、ダイレクトに返すより次へ次へと繋いでいく人間のDNAの方が味わい深く温かさを感じますね。

いいないいなー、人間っていいなー。

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