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ストリート・スマート

日本ではあまりなじみのない言葉だが、アメリカでは大した学歴やバックボーンがないにもかかわらず、社会の中でバリバリと活躍する人たちのことを「ストリート・スマート」といったりする。

一方、一流大学を卒業し政府高官になったり一流企業に入社したりして、額面通りの活躍をして見せるエリートたちは「アカデミック・スマート」と呼ばれることになる。

もちろん、ボクは言うまでもなくアカデミック・スマートである。

とか、

一度くらいは言ってみたかったので言ってみたものの、どの角度からどう覗き込んでも、解剖して細胞検査してみてもストリート・スマートの部類に入る。何をもって活躍というのかはあくまでも自己評価として。

最新のDNA研究(AKB53ラボ)によると、ストリートになるかアカデミックになるかは、幼い頃から無意識の中で自らのDNAが選択しているというから驚きだ。

よく「勉強が出来ないからアカデミックになれなかった」と誤解されがちだが決してそうではない。仮にDNAがストリート型であれば、日々の選択においてその影響が大きく、とりわけ、アカデミックにつながるための受験を目的とした詰め込み教育にはDNAが強烈な拒否反応示すのだそうだ。負け惜しみではない。

また、ストリートの特徴としては、先々を見据えたうえで、目の前の何かを我慢することができないことも報告されている。アカデミックが大学入学を見据え夏休みを棒に振り受験勉強に取り組む姿を尻目に、青春万歳と遊び惚けているのはすべてストリートある。

西武ライオンズの黄金時代の選手は清原を除き皆アカデミックであり、近鉄バファローズは仰木監督以下全員がストリートであったという論文も存在する。だから送りバントはしないし出来ない。ピッチャーが投げた球をより遠くに打ち返したいだけ。だからよく負ける。たまに豪快に勝つ。たまの爆勝を「どんなもんじゃい!」と叫び喜んでいるバファローズファンのDNAを採取したところ、例外なく筋金入りのドストリートであったらしい。

要するに、既存のルールに違和感を持ちながらも、そのルールを正しく理解しあくまでも勝利を目指し邁進するのがアカデミック。既存のルールに窮屈に感じ抗い、セオリー無視で勝利を目指し「どんなもんじゃい!」と叫びたいのがストリートなのである。

もちろん、いい悪いはないが、最悪なのは、
ストリートDNAを持つにもかかわらず、アカデミックであらねばならぬとの強迫観念から妙な劣等感を誘発し、つまんなそうに人生を過ごしてしまうことである。ボクの周りに友人はほぼあっけらかんのストリートである。一見アカデミックな顔したひと皮むけば素敵なストリートもたくさんいる。

どんなもんじゃい。

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