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私はミッドサマーを見ない

服薬中:抗不安薬,抗うつ剤など
通院中:睡眠障害,不安障害,うつ病など

※この記事はミッドサマーの本編のネタバレを含みます

Twitterなどで話題のミッドサマーが見たいな、と思った。最初は単純に色彩に惹かれた。その後Twitterで友人などから話を聞いて、余計に見たくなり、実際に見た友人から話を聞いて、Youtubeのティザーを見て、ネタバレにならない程度のレビュー情報を読み集めた。

そもそも私は映画をそんなに見ない。
最近わざわざ観に行った映画というのが、天気の子、すみっこぐらし、ボヘミアンラプソディという世間で話題になっていてかつ「好き」な要素(監督、キャラクターなど)が確定しているものだけを見る。

そんなわけで友人からミッドサマー良いよと聞いて「見たいな〜」と言いながら情報を集めていたら、後ろからスマホの画面を見ていた家の民に聞かれた「なんでそんなに観たいの?俺はそんなに観たいと思わないけど」

そう聞かれてこの人はこういうのが趣味じゃないのだな、と思い「観たいから」としか答えられなかったのだが、自分の解答に少し違和感を覚えた。例えば、ボヘミアンラプソディであれば「高校のときからQueen好きで」例えば、天気の子であれば「君の名はとどう違うんだろうね」と明らかに被写体やストーリーに対し興味を持っていることを示せた。

ミッドサマーにはそれが無いのだ。
北欧調のテイストは好きだ。花やふわふわの民族衣装なども好きだ。だけど特段明かされている作品の内容に関して、スリラーな内容は気になるし、伏せられている結末などは気になるし、それらは充分映画を見る理由に値するのだろうが、「観たいから」と答えた自分が自分じゃ無いような、いわゆる異様な執着(家の民にはそう見えた様子)で「観たいから」と答えたような、はっきりと言えば私の病状が「観たいから」と喋ったような気がした。家の民がはっきりと「俺は見ない」と言ったことで、よりそれが顕著に思えた。

元々、Wikipediaなどの陰惨な事件の資料を見るのが好きだ。今はナチスドイツの障害者排除の歴史の本を読んでいる。

でもそれは社会的関心(社会学専攻)に基づくものであって、学術的関心と好奇心は少し一線を引いたものであると考えている。

ミッドサマーに関してはティザーの飛び降りや村人がゆっくりと座る様子、殴打されて殺される老人の様子、踊りに混じれない主人公の様子、焼き殺される人間の様子、不気味なイラスト、ドラッグの幻覚、ドラッグで享受された気分になる様子、そんな様々な様子が気になって仕方がないのだ。別にそんなもの見たくないし(本当見たくないのだろうか?見たいかもしれない)飛び降りる人間の様子がずっとまぶたの裏でぼんやりと残っている。私自身が飛び降りたこともあるし、飛び降りる人間を見たこともあるが、それが特段フラッシュバックしているわけでもないが、見たい。Youtubeを開いては消す。怖いもの見たさだろうか。何故かティザーを見ると引き込まれるものがあって、手が震えた。

以上の認識を踏まえて、これは私のうつ病が「見たい」と言っていると判断した。恐ろしいことだ。私の判断ではない。

そう感じた時点で読むのをやめたかったが、見たいという気持ちを抑えるためにネタバレ記事を読んだ。本編を見てないが、おおよそ予想通りだった。ハッピーエンドだとすら思う。ただ、主人公がドラッグで自我を失った状態で何も抵抗なく(?)集団に取り込まれていくというのが精神病院で幸せな家庭の幻覚を見るような、非常に歪な感覚に思われて、自分が普段睡眠導入剤を飲んだときの、多幸感や安心感に思われて、それらがもし他人に手を引かれて他害や自害に向かったらと思うと私は怖いと思う。もし、自分が睡眠薬を飲んでいる時に「こっちにおいで」と言われてベランダに立たされたら。「下で待ってるよ」と声をかけられたら。土着信仰、ペイガニズムの中で生贄や自害は罪に問われないわけだが、その自分たちの風習を守るための正しさがゆっくりと主人公に受け入れられていくのが、知らず知らずのうちに狂っていくような感覚が怖い。ただハッピーエンドだと思う。

それは別として、精神病患者は、現実と自分の思想の位置が近いと感じる。

妄想と区別がつかないと言われると語弊があるが、自分の思想が強く現実に影響してしまい、何かが出来なくなったりあるいは何かしか出来なくなったりする。具体的には会社に行けなくたなったり死にたくなったりする。通常の人間であれば「ま、そんなこともあるわな」で済ませられることが済ませられなかったりする。何故!?どうして!?と追及しなくちゃ済まなかったりする。

近いものだと、私はいまだに京都アニメーションの事件の衝撃から抜け出せていなくて、いまだに京アニの作品が見れない。その割にニュースを漁ってしまい、後悔する。本当に申し訳ないことだが、涼宮ハルヒ、けいおん、Free!の絵を見ると身体が膠着して目を伏せてしまう。全て好きだった。自分の思想の中で事件の内容が未だに色濃く、それが作品の良さという「良い現実」を凌駕しているからだ。

また、9.11で崩落したビルの写真も見れない。周辺のモニュメントのインスタグラムも苦手だ。これは恐ろしすぎて口で語れない。

これは悔しいが、自分の思想と作品のクリエイティブをどれだけ切り離して見られるかでミッドサマーの評価が変わると思う。正直今でも見たいが、情報を読み漁った今の私の状態がこれだ

・鏡の中の自分と目を合わせられない
・鏡の中の自分を見るのが怖い
・自分の黒目が怖い
・常に誰かが何人か後ろからついてきているような気がする
・ふと横を向くと映画の少女がいるような気がする
・行列に並んでいる気分になる

完全に映画の世界観が自分の思想に侵入してきて、普段通りに振る舞っているし発言もできるが、これは良くない状態だと私は認識する。

何故、私がミッドサマーに引き込まれたのか分からない。面白そうな映画だと思う。たまにスリラーな映画を見たいと思う。ジェーンドゥの解剖とか。SAWも好きだ。ただ、私にはミッドサマーの面白そうな部分というのが、あまりにも自分の状態と近すぎて見れないのだと思う。ミッドサマーは私にとってきっとファンタジーじゃなく限りなくリアル。

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