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交番に届けようと思う、拾ったお金の額とは?

うわぁ・・・・・・。お試しの初投稿、早速呟いてみたいと思います。
自分、赤うんとは幸にして様々な年代の方々と  関わり合いながらライフステージを送っています。今回は曇りなき眼を持つ者の代名詞、子供との関わり合いの中での出来事です。

ある日、赤うんとは子供達と商業施設に居ました。飽きの早い子供達はキャッキャうふふと店内を散策し始めたので、子供達をたしなめつつ商品選びを続けていたのですが、暫くして子供達から「あっちにお金が落ちてる」と報告を受けました。基本的に聞き分けが良い子達なので、赤うんとは「お、ラッキーじゃん。良い子にしているご褒美だね」と第一声を発し「貰っちゃいなよ」と告げたのですが、どうした事か子供達が尻込みするのです。
(そうか、お金を拾う経験が無いからどうして良いか判らないのだな)と思い、とりあえず子供達にお金の下へと案内してもらいました。

赤うんとは目を張りました。
確かにお金が落ちています。
その額 千円札一枚。ポチ袋に入る感じの四つ折り形態を保っています。

「・・・・・・どうする?(流石に千円は貰い難過ぎる・・・・・・!)」内心まで曝け出してたかもしれない赤うんとの言葉に、子供達が曇りなき眼を向けて提案してきました。
「店員さんに言いに行こうよ。ってか当然でしょ!」
「・・・・・・あ、うん。そうだね、そうしよう」
子供達の正義のオーラに照らされて、赤うんとの悪い心は浄化されるべきだと即時判断しました。
と同時に自分が子供の頃を想起します。

屋外で小銭を拾った際には、よく交番に届けていました。比較的、拾得物を交番に届ける経験が多かったと思います。
でも今回は屋内・・・・・・。
しかもお札(千円)。
手にすればほっこり幸せな気持ちにさせる物。

店員さんに裸のお金を渡したとて、真の持ち主が現れるのだろうか。かえって対応に困るのでは無いか、ならばもう貰って仕舞えば万事解決なのではないか交番に届けるのが最適解か・・・・・・
そうこう悩みながら歩む赤うんとの後ろには、迷いの無い足取りで追いてくる子供達。
ついに忙しい店員さんへ声をかける事に成功しました。案の定、店員さんの困り顔を見る事にも成りましたが、最寄りの交番に届ければ保管期限後に赤うんと達が入手する権利を得られる事も説明して下さいました。

あの千円札は、うっかりポロリ(何かを取り出す時に同時に落ちた)に思えて仕方なかった赤うんとは、紛失に気づいた持ち主が慌てて店に問い合わせをするだろうとも思うので、お店で管理をして欲しい旨でお願いさせて頂きました。
店員さんは嫌な顔一つせず意向を汲んで下さり、店の責任で交番を介するとお話ししてくれました。ありがとうございます。

折角の機会だったので、子供達にも交番に届けた場合の話をしました。期限が過ぎた際に届け主が貰える事に関し「それでも本当に自分達が貰って良いのかなぁって思っちゃうな」と、何処までも真っ白な心情を吐露する子供達の眩しさに、赤うんとは目潰しを喰らいます。

拾ったお金を届ける事に関し今回思った事ですが、もし落ちていたのが100円、500円といった硬貨なら?或いは1円、10円なら?

『たとえ1円でもお金はお金。大切にして然るべき』と教わって育った自分なので、子供の頃に拾ったお金は1円でも交番に届けていました。
大人の世界を知った今ならば、1円を届け出た事でお巡りさんの業務が増えるだけだろうとお察しするのですが、やはり金額による価値が異なるのは当然ですね。
それでも子供達の目に映ったお金は、金額によって価値が変わる事はなく等しく大切なお金として捉えられ、無くした人の手元にきちんと帰ることを望むのです。
こうした想いを汲み取り、無碍にする事なく対応するのが当たり前の社会にする事が大人としての責務だと思うのでした。


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