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最終回から考えるヒーリングっど♡プリキュアは何を伝えたかったのか?


始めに

ヒーリングっど♡プリキュアの最終回が2021年2月21日に放送されて3年が経過しました。
3年が経過して未だに何かと言われることが多いのが42話と最終回の2話です。
42話に関しては2024年の花寺のどか誕生日に上げた記事

の方でかなり掘り下げていますので事前に見てくださると助かります。
当記事では何故最終回「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)の話が問題とされているのか、最終回が伝えたかったことは?などを掘り下げていく記事になっております。

前記事【花寺のどかのことは悠木碧に聞け!!!】よりかは個人的な主観が入っておりますのでご了承ください。

事の発端は猿のお爺さんの言葉から


最終回「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)はビョーゲンズとの戦いが終わりしばらく経った後、のどかたちはヒーリングガーデンに招かれることとなるという話になります。
ヒーリングガーデンに招かれたのどかたちはアスミやラテに再会し、ネオキングビョーゲンを浄化するために協力したヒーリングアニマルたちからも歓迎されました。
のどかたちはお土産として持って来たすこやかまんじゅうを渡したり小さいヒーリングアニマルたちと一緒に遊んだりと楽しみます。

ヒーリングガーデンの中にはまだビョーゲンズに蝕まれた影響が残ったままな場所もありのどかたちは胸を痛めます。
そんな中やってきたのは猿の姿をしたヒーリングアニマルであるサルローでした。
サルローは人間がヒーリングガーデンにやってきたことに良い反応をしません。
何故そんな言うのか、アスミは疑問に思い「サルローさん、あなたはどうして人間の皆さんを嫌がるのですか?」とサルローに問いかけます。

分からんか? 人間など、もはやビョーゲンズと変わらんからだ。
自然を破壊し、動物の命を奪う。ある程度は生きるために必要な事だ。それが人間ってものの進化でもあるのだろう。
だが、限度ってものがある! ビョーゲンズだって、進化の果てはキングビョーゲンだ。
オレに言わせりゃ、ヒーリングアニマルは人間だって浄化していくべきなんだ。この星のためにな。

ヒーリングっど♡プリキュア第45話(最終回)「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)より

サルローは限度を超えた自然を破壊し動物たちの命を奪う人間の生き方が地球を蝕み進化していったビョーゲンズと変わらないと思っており、人間とビョーゲンズは変わらないから浄化する対象だと言いました。

アスミは「そういう考え方もあるのですね」と肯定も否定をしませんでしたがラビリンたちは人間はそういう人たちばかりではないと反発をします。
しかしのどかたちはネオキングビョーゲンに言われたことや今の地球が抱える問題を思い出しサルローの言っていることも一理があると思います。

のどかたちが持って来たすこやかまんじゅうの箱にナノビョーゲンが入っておりその結果メガビョーゲンが現れてしまいます。
現れたメガビョーゲンに対してのどかたちはプリキュアに変身して対処をしますが現れたメガビョーゲンはすこやかまんじゅうの姿をしておりすこやかまんじゅうが大好きなアースは攻撃が出来なくなってしまいます。
更に小さなヒーリングアニマルたちが囚われてしまっており思うように攻撃が出来ない状態になってしまっています。

サルローは人間がナノビョーゲンを持ち込んだことに更に怒りを見せます。
ラテは違うとサルローの言葉を否定すると突如としてキュアサマーが現れます。
突如として表れたサマーは棚ぼた的な形でありますが人質になっていたヒーリングアニマルを開放するのに成功させました。
プリキュアたちはサルローの言葉に対して自分たちが出来ることをしていくという意志を見せます。
テアティーヌもその時がくれば人間を浄化する覚悟はあるがプリキュアの意志や突如として表れたのも関わらず手助けをしたサマーを見て人間には未来を変える力があると信じたいとサルローに伝えます。
グレースたちはその後プリキュア・ファイナル・ヒーリングっど・シャワーでメガビョーゲンを浄化します。
途中で気絶をしてしまったサマーは起きた後にグレースたちと再会を約束をして元の場所に帰っていきました。

のどかたちは起こってしまったことを謝ります。
テアティーヌは「生きていれば、こういう事もあるわ。」とのどかたちを咎めることはしませんでした。
のどかはサルローに対してこう言います。

サルローさん。わたし達、頑張ります。
じゃあ、どうしたらいいとか、今はまだ分からないけど、それでも、わたし達にもできる地球のお手当てを考えていきます。

ヒーリングっど♡プリキュア第45話(最終回)「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)より

アスミもサルローに「サルローさん、わたくし達も一緒に考えてみませんか?」と問いかけます。
サルローは「そうだな・・・」と考えを改めました。

のどかたちはヒーリングガーデンから帰ってきました。
サルローと約束したことを守るため地球をお手当をし続けること、戦いは終わらないということを新たに決意します。

うん。でもそういうのも全部丸ごと、生きてくって感じ!

ヒーリングっど♡プリキュア第45話(最終回)「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)より

何故このタイミングで入れられたのか

最終回の感想でよく言われることに「何故このタイミング(最終回)でやったのか」があります。

結論から言うとヒーリングっど♡プリキュアの制作状況を考えるとこのタイミングでこのような分量でやるのが適切だったと自分は思っています。

ヒーリングっど♡プリキュアはコロナの影響で短縮を受けたので本来やりたいことをやれず終わってしまった。という意見を未だに見ます。
しかしながらヒーリングっど♡プリキュアが放送を開始する2020年には日本で東京オリンピックが開催されることが決まっていました。
制作を開始してからすぐにオリンピック中継による放送休止が入るというのはスタッフ内でも周知されてたことがスタッフインタビューでも分かります。

————コロナ禍での放送休止なので、制作面で大変なことも多かったのでは?
(中略)
香村 (途中略)。ただ、制作が始まったことから、オリンピック中継で何回か放送が休止になる可能性があるということはわかっていたんですね。
それが何週にわたるかは決まっていませんでしたが、夏に放送できなかったものは秋の終わりぐらいに放送するかも、という状態で進めていたので、最終的にそれが功を奏した部分もあるんです。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

オリンピックの中継で多少なりとも放送が休止する可能性があり、例年通り全50話程度の放送はできないという前提の元にシリーズ構成の香村純子さんが適宜入れ替えが出来るようなシナリオ作りをしていました。

また同インタビューではコロナの影響を受けなかった状態での最大は何話になるかも語られています。

————オリンピックがあったとしたら、最大何話まで放送予定でしたか?
安見 オリンピックを最大限に見越すと46話ほどだったかと。当初想定していて描けなかったお話もありましたが、芯になる物語や結末は、オリンピックにもコロナ禍も左右されることなく描くことはできました。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

最大を見越すと5週分の休止が入る想定でストーリーを作っていて実際はもっと休止は少なかったのがコロナの影響で結果的に同等レベルに短縮してしまったというのが真相になります。

東京オリンピックの当初の開催日程(7月22日~8月9日)を見ると日曜日が3度(7月26日8月2日8月9日)あるので3回休止、その他の放送休止は年末年始で2回と全日本大学駅伝で1回で合計5度の休止が入るので最大5週分の休止というのはオリンピック終了後のパラリンピック中継で2週分(8月30日9月6日)を踏まえた数(3+2=5)だと推測できます。

またコロナによる放送休止を考えない場合、26話「びっくり! アスミのラテ日記」(脚本:金子香緒里)はオリンピックが閉幕した後の次の日曜日の8月16日に放送されたと想定されます。そのことからコロナが原因で総集編になったと言われる26話までは何事も変更なしで放送したと見ることが出来ます。

制作をスタートさせた段階で話数が削られる、その話数が分からないという状況であるならば必然的に起きるのは物語の縦軸に使える話数が減るということです。
縦軸というのは物語の根幹にあるテーマのお話そのものと言えるものです。
対して横軸というのは物語の根幹にあるテーマとは少し離れたお話と言えるものです。
つまりのどかたちの物語、ヒーリングっど♡プリキュアで伝えたいことという縦軸に使える話、時間が少なくなるという想定で動かざる負えなかったのです。
同インタビューではこのような制作秘話が語られています。

————最初から、例年のように全50話程度の放送はできないと感じていたのですね。
(中略)
安見 オリンピックの休止想定は最大5週間程度ほどでした。ただ、本当にそのすべてが休止になるかもわからなかったので、そのあたりでは放送順を入れ替えてもおかしくならないように、物語の根幹に大きく関わらないエピソードを考えていたんです。
香村 話数の入れ替えが多数発生しても違和感が少ないように、なるべく1年を通じて日常の積み重ねを大切に作っていきましょうということでした。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

当初から休止が想定されていたので縦軸が進むようなエピソードではなくて入れ替えが出来るような横軸のエピソードを作っていこうという制作方針が取られていたのが分かります。

ヒーリングっど♡プリキュア第35話「手と手でトス! ボールつないで青春お手当て!」(脚本:平林佐和子)より

35話「手と手でトス! ボールつないで青春お手当て!」(脚本:平林佐和子)は2020年12月6日に放送されましたが内容は海で水着を着てビーチバレーをする回でした。水着を着てビーチバレーをするというのをするのにアスミの風を使ったワープを利用して南の島に移動するという手法が取られています。
少々の調整はあれどその話の大まかなプロット(=物語の筋・構造)は変わらないように作られたエピソードの代表例と言えます。

縦軸の話に戻しますが当初から使える話数が減るのが想定されているならば縦軸でやるべきこと、やらないといけないことを単純にしたりして使う話数を減らす必要が出てきます。
香村純子さんは44話「みんなでお手当て!! すこやかな未来のために」(脚本:香村純子)でのどかたちがプリキュアであることをバレる展開を書きましたがこれより前にするとバレたことによって発生するエピソードを作らなければならず、放送に収まらない可能性があったと同インタビューで語っています。
つまり縦軸となり得る要素を途中で入れてしまうと結果的に縦軸に使う尺が増えてしまうので極力減らす必要があったということになります。

つまり最終回にやったのは途中でやると縦軸に使う尺が増えてしまうので極力縦軸に干渉しないタイミングでヒーリングっど♡プリキュアで伝えたいことを更に深めたかったから。という理由なのです。

誤解を招いた要因は"先入観"

ヒーリングっど♡プリキュアは例年のプリキュアと比較しても誤解や勘違いされることがあり、間違った解釈がされることが多い作品になっているのが現状です。
前項のコロナ関係の話も放送終了から3年経過したのにも関わらず未だに間違った認識がされていることから中々覆せない状況にあります。
この間違った解釈や誤解が多く出ているというのはオフィシャルコンプリートブックでのインタビューでも言及されています。

————そして42話、ダルイゼンを助けない選択をしたのどかも、注目を集めました

池田 正直なところ、さまざまな方面からあんなにも否定的な意見があるとは思わなかったんですよ。思い返せばダルイゼンがかっこよすぎたのがいけなかったのかな。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 池田洋子×山岡直子 スタッフインタビューより

ヒーリングっど♡プリキュアのSD(=シリーズディレクター。以下SD表記)を務めた池田洋子SDの発言を見るとダルイゼンの最期はスタッフ内でかなり真っ当な最期という認識を持っていたことが分かります。
42話に関する記事でも考察しましたがダルイゼンの最期はヒーリングっど♡プリキュアのやりたいこととして丁寧に導線引きをして着地させています。
何故反発されたか?というのは同記事で"プリキュアに対する先入観"という表現を使って説明しました。

何故誤解や勘違いが起きて間違った解釈が起きたかというとヒーリングっど♡プリキュアのモチーフテーマが関わっていると自分は思っています。

ヒーリングっど♡プリキュアのモチーフは"お医者さん"です。
地球をお手当するという使命を帯びたヒーリングアニマルのお医者さん見習いが人間のパートナーと一緒にお手当をするために"プリキュア"に変身するというのが今作のプリキュアになっています。

対してヒーリングっど♡プリキュアのテーマとは?
実はテーマに関しては公式的に明言をされているわけではありません。
各種報道や色々なサイトを見てみると「生きる」「」「思いやり」というテーマと書かれているようであり、オフィシャルコンプリートブックのスタッフインタビュー始め様々なインタビューを見ると「生きる」というのが根底にあるテーマだと思われます。
自分はそこに「生きる」と共に「優しさ」というのがテーマとして存在していると思っています。
何故「優しさ」がいるかというとヒーリングっど♡プリキュアの話をまとめるのに非常に簡潔にまとめることが出来るからというのと、のどかを始めとするプリキュアに変身する4人の物語を説明するのに非常に分かりやすく説明できるからなのです。

お医者さんというモチーフと「生きる」「優しさ」というテーマは密接に関わり相性の良いように見えて実は相性が良くない関係だと思っています。

そもそもとしてプリキュアは悪をも救う救世主、救いの女神という先入観を持っている人が一定数います。
これに関しては反論の一つとしてヒーリングっど♡プリキュアのシリーズ構成を務めた香村純子さんが脚本を勤めた「映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」内で美墨なぎさがこう発言しています。

な、なんや!プリキュアともあろうものがへこたれてる場合ちゃうやろ!

そんな言い方辞めて!プリキュアって言ったってただの中学生だよ!
自分でどうすることも出来ない時には誰だってそうなるに決まってるじゃない!

映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ(脚本:香村純子)より

ハピネスチャージプリキュア!以降、プリキュアの製作スタッフはプリキュアは救いの女神でもなく何でもやってくれる存在ではなくただの女の子が変身する存在であるというのを強く意識させる作品作りをしていっています。

池田洋子SDもそのことに対してこのような言及をしています。

————改めて「ヒープリ」を通して描きたかったものとは?

池田 リアルな普通の女の子の姿です。ダルイゼンとの関係でも少し話しましたが、私がプリキュアが観てくださっている方にすごく都合よくとらえられている面もあると感じてたんです。だから、プリキュアだって自分の気持ちにしたがっていいんだと言いたくて。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 池田洋子×山岡直子 スタッフインタビューより

ヒーリングっど♡プリキュアのモチーフは「お医者さん」です。
お医者さんというのはどういう存在か?どういう人たちなのか?というのはヒーリングっど♡プリキュアが放送されているときに猛威を振るった新型コロナウイルスが知らしめてくれました。
未知のウイルス相手に先の見えない戦いをしていく、どんな困難でも人命を救うために頑張りどんな絶望的な状況でも患者のために戦うそんな存在。
たとえ患者が馬鹿な行為をして患者に非があれど患者であるなら助けるというのがお医者さん。
我々は当時毎日のように肌で感じていました。
地球をお手当するという使命を持ったヒーリングっど♡プリキュアの8人もどんな困難でもエレメントさんを救うために頑張りどんな絶望的な状況でも患者さんのために戦うそんな存在でした。

しかしながらのどかたちの物語はモチーフではなくテーマで進行していきます。
「生きる」ためにやるべきこと、やらないといけないこと
「優しさ」をどう振る舞うか、どう受け取るか、どう学ぶか
それらがのどかたちの物語の根幹にあるものなのです。

「生きる」ことと「優しさ」を持つことが何故お医者さんと相性が良くないのは「生きる」ことと「優しさ」というのはある種の残酷な選択をしなければいけないということもあるからです。
42話でダルイゼンを助けなかったことを"プリキュアとしてありえない行為"と前回の記事で書きましたが42話におけるのどかの選択は「生きる」という観点で言えば一つの正解ではありますし「のどかの優しさ」という観点で言えば自分に優しくあってもいいという答えでもあります。

テーマとしては正しいとも言える行動をしていますが「お医者さん」というモチーフとしては助けてほしいと言った人を見捨てた、助けなかったというやってはいけない行為になってしまった。ということになったのです。
そしてヒーリングっど♡プリキュアのプリキュアは地球をお手当する存在でありお医者さん見習いであるヒーリングアニマルと少女が一緒にお手当するという存在であります。
ヒーリングっど♡プリキュアのプリキュア=お医者さんであるので「プリキュアでありお医者さんあるならば無条件に誰を救わないといけない」というお医者さんとプリキュアの2つの先入観が重なった状態になっているのです。
しかもその意識はコロナ禍という未曾有の状態で更に深くなっていました。

ヒーリングっど♡プリキュアという作品は未曾有のコロナ禍の中でも負けないために戦い続けた作品でした。

————地球をお手当するというプリキュアに、コロナ禍での状況を重ね合わせた方もいるかもしれません。

安見 「ヒーリングっど♡プリキュア」は地球をお手当する存在なので、人の病気を治す話ではないという差はあると思っています。でも、地球のお医者さんと言っていますから、結び付けて考えられる方も多くいらしゃったのかな。「プリキュアがコロナのお手当をしてくれればいいのに」「コロナを浄化してくれればいいのに」というかわいい声も見かけましたし、「プリキュア頑張って!」というお手紙もいただきました。
プリキュアが誰かの勇気になれていたのであれば、現実とリンクしているかどうかは置いておいて、よかったと思いますし、個人的にはとても励みになりました。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

制作スタッフの方々も視聴者側がこのようにプリキュアから勇気を貰ったというのを認知していました。
しかしヒーリングっど♡プリキュアは新型コロナウイルスがあったから企画された作品ではなく現実がたまたまリンクしてしまっただけの作品ですし制作スタッフはコロナを意識させないように制作をしていったとも言及しています。
しかし現実が偶然にもリンクしてしまったが故にモチーフの先入観がより強くなってしまったのです。

ヒーリングっど♡プリキュアという作品が我々の心に強く印象付いたのは二つの先入観が時勢によって強く意識されたから。あらぬ誤解や勘違いを生み出してしまったのは先入観が強く意識されてしまう時勢だったから。
新型コロナウイルスが引き起こした緊急事態宣言、コロナ禍という時勢はヒーリングっど♡プリキュアにとって幸運でもあり不運だったと言える状況を作り出してしまったのです。

最終回もこの先入観が誤解や勘違いを引き起こした要因の一つだと思っています。

人とビョーゲンズが変わらないの真意

ヒーリングっど♡プリキュア最終回も多くの誤解や勘違いをされている話になっています。
この話は環境問題の話生存競争の話と誤解や勘違いをされることが多いです。
実際サルローの台詞は自然環境のことを話していますしのどかたちもそれに準じた話をしています。
ビョーゲンズは地球を蝕む存在ですからそれと変わらないというのならば人も地球を傷つける存在と言っていると見ていいのです。
生存競争という観点で言うとヒーリングっど♡プリキュアの最終決戦は生きたいという想いがネオキングビョーゲンを打ち破るきっかけになっていました。そういう描写をすれば否応にも意識はせざる負えないと思います。

最終回の脚本を書いた香村純子さんも最終回に関してこのような言及をしています。

————サルローからののどかたちへのメッセージですね。
香村 最初の話し合いで、「人間が地球にとって害になり得るという話はやらない」という方向性に決まってたんです。でも、完全にスルーするのもよくはないのではないかと思い、触れる程度でしかありませんが、ヒーリングガーデンに行ってわちゃわちゃする話と組み合わせました。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

最終回は当初は書かない方針であった「人間が地球にとって害になり得るという話」に該当する話であるという意味合いの言及となっており、このインタビューを見た人はやはりそういう話だったんだなと思うことでしょう。

ただ、自分は最終回はヒーリングっど♡プリキュアが積み重ねてきたテーマの話を踏まえると環境問題の話や生存競争の話であると言い切れない部分が多いと思っています。

まず人とビョーゲンズが変わらないというのはどういうことなのかを分析する前にビョーゲンズという存在がどのような描かれ方をしていたのかを整理しましょう。

大まかな部分は42話に関する記事で解説してしまっているので簡潔に述べますとビョーゲンズという種族は「生きる」ために「優しさ」を持ち合わせてていない存在でした。
また他者を利用して自分さえ良ければいいという考えを持ち合わせており協力し合うという概念もありませんでした。

協力という概念があるならばヒーリングガーデンを壊滅状態にした後に地上で三人が一斉にメガビョーゲンを出せば一気に地球を蝕むことが出来たはずですし、三人がバラバラの箇所でメガビョーゲンを発生したので個別対処せざるを得ない状況になった「緊急お手当て!メガビョーゲンがいっぱい!?」「力を一つに!ミラクルヒーリング!」(10話・11話 脚本:香村純子)のように協力すれば有利を取れるというのを認知してそのあともやればプリキュアたちに勝てたはずなのです。

ビョーゲンズの頂点であったキングビョーゲンも自分以外の存在を徹底的に下に見ていて利用するものと捉えていましたし、シンドイーネを吸収すればもっと強くなれる状況であるのにも関わらず吸収しない選択を取った結果、プリキュアたちにシンドイーネのナノビョーゲンを利用した状況打破の策を与えてしまいました。

対してのどかたちは「生きる」ために「優しさ」を持ち合わせていました。

自分を顧みない優しさを持ったのどかとその優しさを守るために自分の使命を曲げる選択を取る優しさを持ったラビリン
優しさを既に持っていて振る舞うことが出来るがあと少し足りないものがあるちゆと少し足りないものを補える優しさを既に持っているが勇気がちょっとないから発揮できないペギタン
自分が気付いていないだけで既に自分自身の優しさを持つひなたとその優しさに気付きお前のままでいいと肯定をするニャトラン
自分が辛い目にあってもみんなのためにお手当したいと願ったラテとそのラテの願いを守るために優しさを学んでいったアスミ

とそれぞれ「優しさ」を根幹とした関係性を築き上げているのがのどかたちでした。

14話の「元気発見!すこやかフェスティバル!」(脚本:伊藤睦美)ではすこやか市はかつてプリキュアだった少女が住んでいたことが言及されています。
すこやか市はそんなプリキュアが持っていた優しさを今でも引継ぎながら生活をしています。
同話ではすこやかまんじゅうのお店の蒸し器が故障した際に周りの人やお店が率先して助け船を出していました。
そのような光景にのどかたちは感銘を受けますがすこやか市で過ごしているおばあさんはこう言います。

あら。こんなの大した事じゃないよ。すこやか市はね、そもそもそういう街なのよ。

そういう?

ええ。昔から、病気やトラブルに見舞われるたびに、この街はみんなで協力して困難を乗り越えてきた・・・
だから、すこやかまんじゅうが作れないなんてトラブル、この街のみんなが力を合わせれば何て事ないよ。

ヒーリングっど♡プリキュア第14話「元気発見!すこやかフェスティバル!」(脚本:伊藤睦美)より

すこやか市が優しさに溢れた場所というのは44話「みんなでお手当て!! すこやかな未来のために」(脚本:香村純子)でも分かります。
プリキュアたちがビョーゲンズから守ってきてくれたことは何らかの重大な事情があって隠していたのだからその気持ちを尊重しようということでのどかたちがプリキュアであるということは今まで通り知らないということにしようとしました。

ヒーリングっど♡プリキュア第44話「みんなでお手当て!! すこやかな未来のために」(脚本:香村純子)より

のどかたちの「優しさ」が優しいままでいられる場所、「優しさ」を学べる場所、「優しさ」を育むことが出来る場所、それがすこやか市であったのです。

人もヒーリングアニマルも精霊も友達になれて「優しさ」を持ち合わせて一緒に生きていきたいと願うことが出来る存在であるのはのどかたちとすこやか市の皆さんが証明してくれています。
時には相手を傷つけてしまうことがありますがそれを糧にしてもっと良い関係を築き上げることが出来ます。

つまり人とビョーゲンズが変わらないというのは
人がビョーゲンズのように「優しさ」を持たなくなり自分だけ良ければいいと「生きる」ようになればビョーゲンズのように滅びに向かってしまう。
そうなった時、地球をお手当する立場であるヒーリングアニマルは人をビョーゲンズと同じように浄化する対象にしなければならない。

という話なのです。

そろそろ諦めたら?

絶対に諦めない!絶対助ける!
先生に、もっと沢山の人を助けてもらうために!


チッ・・・バカバカしい!
人のために頑張って、何になるんだ! 自分の事だけ考えてる方が幸せだろ!

あなたには分からないかもしれない・・・だけど、わたし達は、助け合ったり、支え合ったり・・・
そうやって生きてるんだよ!

ヒーリングっど♡プリキュア第33話「思い出の再会!過去のわたしの贈りもの」(脚本:香村純子)より

33話「思い出の再会!過去のわたしの贈りもの」(脚本:香村純子)内でグレースとダルイゼンはこのような問答をしています。
ヒーリングっど♡プリキュアの物語は「優しさ」を理解しようとも学ぼうともしないで「生きる」ビョーゲンズと「優しさ」理解し学んで「生きる」グレースたちのスタンスが変わることなく進行していきました。
その結果ビョーゲンズは誰一人として生き残ることなく浄化されてることで物語が終わったのです。

37話「季節をエンジョイ♡ラテ様おもてなしツアー!」(脚本:金子香緒里)は最終回と似たような話になっています。
この回ではピクニックを楽しむ観光客がゴミを捨てて行ってしまうという描写とそれを掃除するすこやか市の職員の姿、それを見て自分たちが出来る範疇で職員に協力するラビリンたちが描かれています。
しかしながらこの回の主題になっていたのはラビリンたちヒーリングアニマルのお手当に対する使命感の部分でした。
ダルイゼンからお手当をやめればプリキュアと別れることはないと言われますがラビリンたちは大好きなみんなを守るためにお手当をやめないとダルイゼンの言葉を明確に否定します。
ラビリンたちヒーリングアニマルはのどかたちを危険なことに巻き込んでいるという罪悪感を持っているということは12話「以心伝心!?チームワーク大作戦」(脚本:広田光毅)でも言及されています。
ラビリンたちは危険な地球をお手当する戦いを一緒にしてくれるのどかたちの優しさに答えるためにもお手当を終わらせ、お手当て関係なしにいつでも会えるようにすると決意をするのです。

キーワードは「心の肉球にキュンとくる」

ヒーリングっど♡プリキュアは「心の肉球にキュンとくる」というワードが登場しています。

1話「手と手でキュン!二人でプリキュア♡キュアグレース」(脚本:香村純子)において壊滅状態に陥ったヒーリングガーデンから人間界に旅立つ際にヒーリングアニマルの祖にして長であるテアティーヌがエレメントボトルを3人に渡し「心の肉球にキュンときた人間にそれを渡しなさい」と言い娘のラテを含む4人を送り出します。

実はこの「心の肉球にキュンとくる」はどのような感情であり概念なのか?という具体的な説明は殆どされていないのです。

またこの概念はヒーリングアニマルだけものではないというのも示されています。

これは・・・何でしょう・・・心が・・・
わたくしの中の地球のパワーが・・・高鳴り、渦巻き・・・
いえ、苦しいのではありません・・・
よく分かりませんが、ただ、それでも・・・
あなたの手を取りたいと、どうしようもなく思ったのです

ヒーリングっど♡プリキュア第20話「今、つながる願い…!わたしたちキュアアース」(脚本:香村純子)より

うん・・・ありがとう・・・
心の肉球にキュンってくるって、こういう事なんだね・・・

ヒーリングっど♡プリキュア第42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」(脚本:香村純子)より

心の肉球にキュンとくる」という概念は人間であるのどかや精霊であるアスミも感じることが出来た感情と言えます。

「心の肉球にキュンとくる」という感情は「好き」という感情に近いものであり、誰かの優しさに触れた時にその誰かと一緒に生きていきたいという感情、その優しさを守っていきたいという感情、その優しさに対して優しさをお返ししたいという「優しさ」というのを根幹とした感情だと推測できます。

ヒーリングっど♡プリキュアに登場する種族で「心の肉球にキュンとくる」という感情が芽生えなかった種族はビョーゲンズだけです。
「心の肉球にキュンとくる」という感情を学ぶことも感じることも出来なかったからこそビョーゲンズは誰一人として生き残ることが出来ず、全員浄化されることになったのです。

前述で環境問題の話や生存競争の話であると言えない部分が多いと言いましたがヒーリングっど♡プリキュアが伝えたかったことはこの二つは絡んでいることではあるが主題ではないのです。
あくまでも主題は「生きる」ために「優しさ」を持ちそれを上手く振る舞えることが出来るか?「心の肉球にキュンとくる」ような存在になれるのか?
という話でありその大枠の中に環境の話や生存競争の話が入っているだけなのです。

主題がそのような話であるならば、ビョーゲンズは病原菌モチーフだから全滅したという意見に対して病原菌モチーフじゃなくても同じ末路を辿ったと言えるようになりますし、意外と見ることが多いビョーゲンズが在来か外来か?という疑問に関してもどっちでもやるべきことが変わらない伝えたいことが変わらないので設定する必要がない、我々に明かす必要もない。というのが分かります。

"生きてくって感じ"に込められた意味とは?

最終回はのどかの「生きてくって感じ」という台詞で締められます。
この「生きてくって感じ」というのはシリーズ構成の香村純子さんが「生きてるって感じ」だと違うと思って変更したものとなります。

————45話で、のどかが「生きてくって感じ!」と言います。これまでは「生きてるって感じ!」でしたが、未来を感じさせるひと言として書かれたのでしょうか?
(中略)
香村 45話は「生きてる」で最初に書いて提出したんですが、打ち合わせにいくまでの間に「あ、違う」と感じたんです。それで「生きてく」に修正させていただきました。
安見 シリーズの最終話って、何年後かの未来を描く形もあると思いますが「ヒーリングっど♡プリキュア」は地続きの日々が続いていくところを見せたかったんですね。「生きてる」が「生きてく」になったときに、本当に「ヒーリングっど♡プリキュア」で描きたかったすべてがピタリとハマった気がして、すごく気持ちよかったです。
香村 ありがとうございます。
安見 とてもふさわしい締めの言葉だったと思いました。プリキュアと一緒に育ってきたお子様が、そのまま日々を続けていくように、彼女たちも同じだよと見せられたらと思っていたので、本当に素敵な45話になったように感じています。

ヒーリングっど♡プリキュア オフィシャルコンプリートブック 香村純子×安見香 スタッフインタビューより

この変更に関して安見香P(=プロデューサー。以下P表記)は「「ヒーリングっど♡プリキュア」で描きたかったすべてがピタリとハマった気がして、すごく気持ちよかったです。」と評価をしています。

「生きてる」という表現をすると「今」がそうであるという「状態」を表すことになります。「生きてく」という表現にすると「今」がそうであるという状態の「継続」を表すことになります。

のどかたちは「優しさ」を持ち寄ることで間違ったことをしてしまっても改善することが出来るし誰かを思いやり誰かのために何かを出来る子たちです。
「今」を改善して「継続」することが出来る子たちでした。
生きてくって感じ」というのは今やれることを継続していくこと、間違ったことをした場合でも正し、今を変えていくという決意表明になると自分は思っています。
またこの決意表明というのは人とビョーゲンズが変わらないというのにも関わっています。
ビョーゲンズのように優しさを持たず自分だけ良いと思う存在になってしまわないように「優しさ」を相手のことを想いながら振る舞えるようにならないといけないということ。
「優しさ」を学び、育むことで「心の肉球にキュンとくる」存在にならないといけないんだという負けないために戦い続ける決意表明にもなっているのです。

"そうならないため"にどうするかの話

最終回を語る上で言われることの中にテアティーヌの台詞とアスミの今後があります。

テアティーヌはサルローに対してこのような台詞を言っています。

サルロー。あなたの言う事も分かるわ・・・わたしもいざという時が来たら、人間を浄化する覚悟はあります。
でも、人間に深くかかわった者として言わせてもらうと、人間には、未来を変える力もあると信じたいの。
わたしには、さっきの見慣れぬプリキュアの存在が、その希望のように思えるのよ・・・。

ヒーリングっど♡プリキュア第45話「おいでませ♡ヒーリングガーデン!」(脚本:香村純子)より

テアティーヌのこの発言からヒーリングアニマルは人を浄化する対象にする。人間も浄化対象という話にしている人を見ることがあります。

テアティーヌはヒーリングアニマルの祖であります。
そして今は地球をお手当する使命を持ったヒーリングアニマルの長、女王としての立場もあります。
いずれかそうなった時にヒーリングアニマルの使命としてその長としてそうせざる負えないという話でありますし、そして娘のラテが地球をお手当する使命というのに強い使命感を持っているのを見ればテアティーヌ自体の使命感の強さも分かってきます。

意外と忘れられがちでありますがテアティーヌもかつては人間のパートナー「フウ」と一緒に地球をお手当してきました。

ヒーリングっど♡プリキュア39話「ついに決戦!?とびこめ! ビョーゲンキングダム!」(脚本:金月龍之介)より

人と触れ合い、パートナーとなり、一緒に地球をお手当したテアティーヌは「心の肉球にキュンとくる」を分かっています。だからこそ人には未来を変えられる力があると信じているのです。

アスミは人でもヒーリングアニマルでもない地球から産まれた精霊です。
サルローの台詞に対して「そういう考え方もあるのですね」と肯定も否定もしなかったことからアスミも今後は人の敵になりうると捉えた人がいるようです。

しかしアスミの物語を見ていくと「人ではない」自分が「人と共に歩みたい」という想いを持っているのが分かります。

26話「びっくり! アスミのラテ日記」(脚本:金子香緒里)でアスミは三人から仲間外れにされた思い込んでネガティブな気持ちになり透明になってしまいました。
この時のアスミは1人でも十分に強いというひなたの発言に違和感を覚えたり、4人でお手当しているというのどかの発言にそうとは思えないと言ったりと疎外感を覚えていました。
この話はのどかたちがアスミにサプライズをするためにあえて距離を離してたという話でしたが、アスミの中には4人で一緒にお手当をしたいという気持ちが芽生えているという話でもあります。

第43話「キングの進化…!蝕まれたすこやか市」(脚本:香村純子)では「人ではない」自分が「人ではない」からこそみんなを守るために、みんなと一緒にいるためにシンドイーネのナノビョーゲンを自身の身体に取り込む決意をしました。

アスミは「好き」や「優しさ」を学んだことでみんなと一緒にいたいという想いを育むことが出来ました。
だから26話の結びでそんな「好き」がたくさんある地球に産まれたことに感謝したのです。

ヒーリングっど♡プリキュア26話「びっくり! アスミのラテ日記」(脚本:金子香緒里)より

もし人がビョーゲンズのように「優しさ」を失ったら?という話も重要ですが、同じぐらいに大切なのはそうならないためにするべきことは?だと思っています。
テアティーヌもアスミも人と共に生きていきたいと心の底から思っています。
だからこそそうならないために、ビョーゲンズのようにならないためにどうすればいいのか?という問題提起になるのです。

人は確かに間違えるかもしれません。けど生きているならばそれを正すことを出来る存在でもあります。
自分勝手な人もいるかもしれません。けど突如として表れたのにも関わらずピンチを助けてくれたキュアサマーのような存在もいます。

そうならないためにどうすればいいのか?
という問題提起の話でもあるからこそアスミは最後サルローに「サルローさん、わたくし達も一緒に考えてみませんか?」と問いかけ、サルローも「そうだな・・・」と答えたのです。


「生きる」ために「優しさ」を学び、育み、「心の肉球にキュンとくる」存在になれるように、「生きる」ために「優しさ」を持ち合わせない存在にならないように、負けないために戦い続けるという「決意表明
そうならないためにどうすればいいのか?を一緒に考えましょうという「問題提起
その両方が合わさった言葉が「生きてくって感じ」なのです。

そんな決意表明問題提起が合わさった「生きてくって感じ」というのがどういうことかというのを花寺のどか/キュアグレースを演じた悠木碧さんは非常に分かりやすく説明しています。

ヒーリングっど♡プリキュアは…ですね。
こう医療だったり環境だったりというものもテーマにしつつ優しさをテーマにしてきた作品です。

私はグレースを演じながら「優しいって何かな?」というのをずっと考えて続けていました。
1話が始まった時の…のどかの優しさって与える優しさ、一方から発信する優しさ、そういうものが凄く多くて、それって、それが出来る人って本当に尊くて素晴らしいんだけど…それだけではきっと脆くて崩れてしまうような印象だったんです。

1年、ストーリーを通して、皆さんから優しさを分け与えて貰って、のどかが優しくいられる世界で、1年が終わった時に「なるほど」と。
あっ、優しさっていうのは誰か一人が発信するものではなくて、みんなが持ち寄ることで保たれていくものなんだなっていう風に、28にして勉強させていただいてしまいました。

色んな優しさの形がそれぞれの役、それぞれのキャスト、スタッフさん、みなさん、色んな所に散らばっていたと思うんです。
そして同時にこの作品のとても難しかった所は「優しい」ことと「正しい」ことを両立しないといけなかった。
「優しさ」と「正しさ」を両立するって凄く難しい、じゃあ「正しい」って何だろう?って私思ったんです。

「正しい」って多分…悩むことなんです。
と私は今悩んでいるんですが(笑)正しいといいなって思いつつ(笑)

あの…何が正しいかな?何が優しいかな?これで間違ってなかったかな?私…合ってるかな?みんなに聞いてみたり、確認してみたり、自分で一回自分のこと振り返ってみたりしながら、迷いながらきちんと進むことを、人は「正しい」って呼ぶのかなぁってなんてことを、そうしていくと、もしかしたらいつかは「優しい」と「正しい」がみんなで一緒に両立できる世界が出来るんじゃないかなと、そんな気持ちにさせてくれたヒーリングっど♡プリキュアでした。

1年通して本当に多くのことを人としても役者としても学ばせていただいた、本当に素敵な機会でした。


みなさんは、誰みたいな優しさだったらなれると思う?


ヒーリングっど♡プリキュアのシリーズは今ここで、最終話を迎えて、まあ映画はありますけどね?

だけどここから先、みなさんがこの作品で感じたことを紡いでいく未来が始まるんです。
だからこの作品はけして終わりません。みなさんがその中にきちんと届いたものが何かあったなら、何をどういう風に感じたか、ぜひ覚えておいてください。
そして、もしそこに優しいな、幸福だな、という気持ちが少しでもあったなら、それを自分に優しくしてくれた人に返してあげてもらえると、きっとその人が優しくいられる世界というものが、この先も広がっていくんじゃないかと、そんなことをのどかたちに教えてもらいました。

1年間応援していただき本当にありがとうございました!

ヒーリングっど♡プリキュア感謝祭「キャスト陣最後の挨拶」より

最後に

ヒーリングっど♡プリキュアのテーマである「生きる」と「優しさ」を見た場合、最終回の展開を含めてやりたいこと、伝えたいことはしっかりやれているというのが分かります。
確かにビョーゲンズという存在や最終回のサルローの話から環境問題のことや人の愚かさ傲慢さを言っているように思えますが、その「先入観」を取り払ってヒーリングっど♡プリキュアのテーマで見るようにすると、もっと大枠で大切なこと「生きる」ために「優しさ」を持ちそれを上手く振る舞えることが出来る「心の肉球にキュンとくる」ような存在になること。そのような存在になれればきっと環境問題などの問題も解決することが出来るよね?という話になります。
最終回という一見不適切なタイミングであるように見えますがそういう存在であり続けるために戦い続ける「決意表明」とそういう存在にならないためにどうすればいいのか?という「問題提起」をするタイミングとしてはこの上ないタイミングだと思います。
生きる」というのにも「優しさ」というのにも常にこれが正しいというのがありません。だから「生きてくって感じ」なのです。

そんなヒーリングっど♡プリキュアが伝えたいことを少しでも分かりやすく道筋を立てて分析、考察、解説をすればもっとヒーリングっど♡プリキュアが伝えたい「優しさ」が広がっていくのではないか?こういう風に解説をすることが自分が出来る「優しさ」だと思い今回の記事を書きました。

この記事を書こうと思った契機の一つは昨年20周年を迎えたプリキュアシリーズに対して色々考えているときに「あれ?プリキュアって意外と単純な話じゃない?」と思ったからです。

昨年のプリキュア界隈は20周年ということで非常に盛り上がりました。
その盛り上がりの代償かは分かりませんがネット上では「プリキュアのお約束」を知ってる人と知らない人の衝突を見たり、これはプリキュアではない!と言い出す人を見る機会が多かったと個人的には感じました。

個人の感想になってしまう部分もありますが、プリキュアは20周年を迎えてそのプリキュアの定義は変わっていないと思っています。
これはプリキュアオールスターズF"復活上映"の初日「プリキュアの日!バースデー上映」後のスタッフトークの時にプリキュアの生みの親である鷲尾天Pがシュプリームからの質問「プリキュアって何?」に対する答えとして「田中監督と話したことがあるんですよ。そのときに“手をつなぐこと”っていう返事をした記憶があります」と答えたことからそうだと確信を持てました。

ひろがるスカイ!プリキュアは史上初のレギュラーの男の子プリキュアであるキュアウィングが登場しました。
現在放送中のわんだふるぷりきゅあ!では従来のような戦闘が行われておらずチェイスアクション(=簡易的に言うとおいかけっこ)をする作品になっています。
近年特に顕著ですが、男の子がいたり、戦わなかったり、プリキュアがやることやってることというのは毎年のように変わり、変化していきますが根底にある「誰と手を繋ぐ大切さ」というのは変わっていません。
また「プリキュアは救いのヒーローではなく日常を生きている人たちが日常を守るために変身するもの」というものも変わっていません。

ふたりはプリキュアのエンディング「ゲッチュウ! らぶらぶぅ?!」に
地球のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃない⁉の!
という歌詞があります。

プリキュアであることも重要だけど一人の人として大切なものもある

2004年に放送が開始されたプリキュアシリーズの根底はふたりはプリキュアから全く変わっていないのです。

あれ?プリキュアって意外と単純な話じゃない?」と気付いてからどんな作品構造をしようとプリキュアの根底にある「誰と手を繋ぐ大切さ」「プリキュアは救いのヒーローではなく日常を生きている人たちが日常を守るために変身するもの」が変わっていないならたとえどんな姿形であろうとプリキュアになってしまうと思ったのです。

またプリキュアシリーズは先入観を覆す作品だということも気付きました。
昨年のひろがるスカイ!プリキュアは男の子のプリキュアであるキュアウィングに注目が集まっていましたが、ソラ・ハレワタールというキャラも既存の先入観、固定概念を崩したキャラだったと思っています。
プリキュア史上初となる青色をメインとしたセンターであり異世界であるスカイランド人というシリーズ初の要素で固められています。
プリキュアシリーズが20年間積み上げてきた要素を覆すような要素を投入されているキャラ造形になっていますしソラが目指すヒーローとしての姿は「目の前の困ってる人に手を差し伸べ助ける人」「誰かのためのヒーロー」であり世間一般が考える「人々を救うために時には自分を捨ててまで戦う人」というイメージとは違ったヒーローでした。
当初、どのようなヒーローになりたいか?が不明瞭だったソラのヒーロー像は23話「砕けた夢と、よみがえる力」(脚本:金月龍之介)でどういうヒーローになりたいか?が定まりました。
たとえ弱い部分があってもいい、それでも誰かが望んでいるなら困ってる人を助ける。それがソラが目指すヒーローの姿になりました。
ソラが目指すヒーローの姿はプリキュアの根底にあるプリキュアとは?と非常に合致したヒーローでした。
ひろがるスカイ!プリキュアは一年を通して20年近く積み重ねられた先入観に囚われずシリーズの根幹にあるプリキュアとは?をしっかりと書いていたと思っています。

この記事でも「先入観」に触れていますが「先入観」というのに囚われるとちゃんと見れない、分析出来ないようになってしまいます。
しかもプリキュアシリーズはその「先入観」を崩す、変えることをいとわない、そもそもとして一般的な「先入観」とは違う定義をしていることもあるシリーズになっていますからそれに囚われてしまったらこうじゃない!が発生してしまうのです。
前述で例を上げたひろがるスカイ!プリキュアはモチーフとしてのヒーローも作中のヒーローの定義もプリキュアとは?にかかってるヒーローになっています。
ひろがるスカイ!プリキュアは「ヒーローなのにヒーローをしていない」という意見を見ることもある作品になっていますがその意見を持っている人のヒーローの定義はひろがるスカイ!プリキュア及びプリキュアのヒーローの定義ではないのです。
だからひろがるスカイ!プリキュアで伝えたいことを分からない人がいるという状況が生まれてしまったと自分は思っています。

そういう「先入観」に囚われない作品作りになっているのはプリキュアシリーズが子供のために作られているシリーズだからだと思っています。ひろがるスカイ!プリキュア放送時に生みの親である鷲尾天Pはある番組でこのように発言しています。

“多様性”というのは既成概念を持った大人の発想であって、子供にとって多様かどうっていうのはないわけですよ。
全てが初めてですから。選択肢が広いんだよということを我々が提示してあげなきゃいけない。
それがもしエンタテインメントの作品の中で出来て、子どもたちがそれを受け入れてそういうものだと思ってくれるのであれば、それが大事なんじゃないかなと思いますね。

祝!プリキュア20周年!! 周年の軌跡 魅力♡祭典♡熱狂スペシャル!!!(2024.1.28.TOKYOMX系で放送)より

「多様性」も「先入観」も大人の発想であり子供が持ち合わせていない発想です。
妖精がプリキュアになろうが高校生がプリキュアになろうが小学生がプリキュアになろうがぬいぐるみがプリキュアになろうがアンドロイドがプリキュアになろうが宇宙人がプリキュアになろうが精霊がプリキュアになろうが男の子がプリキュアになろうが成人がプリキュアになろうが赤ちゃんがプリキュアになろうが犬がプリキュアになろうが猫がプリキュアになろうが子供にとっては初めての体験になり既存と変わった、違うとはならないのです。

概念とかそういう細かい定義を定めながら見るのも楽しいですがプリキュアシリーズを見る際には大雑把に大枠を見るのが一番スッとテーマを入れられるのでは?と自分は思っています。

またプリキュアシリーズというのは1年間の積み重ねを非常に大切にしているシリーズになっています。
どのような行動をしてどのようなことを考えてどのような決着をするのか
プリキュアたちの物語を総評するのは放送が終わった時に出してもいいのでは?と思っています。
昨今1年(4クール)もののアニメや作品が減ったのもあるのか妙に結論を急く人が増えたなという感覚を覚える時があります。
全50話近くあるのに20話程度で全てが分かったと言わんばかりに語る人もいるなという感覚がありますし、そこに至るまでの流れをしっかり描いているのにその話だけその部分だけ見て話す人がいるという感覚があります。なんでそこまで命を賭けてるみたいな感じで見ててなんでそこまで自分の考えが通らないのが気に食わないのか?と疑問に思う時があります。

Go!プリンセスプリキュアのSDを務め、魔法つかいプリキュア! 奇跡の変身!キュアモフルン!、スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて、プリキュアオールスターズFの監督を務めた田中裕太さんは視聴者側の視聴方法について思うことがあるとインタビューで語っています。

──最近は時代の変化とともに、出産シーンを描いたり、男子もプリキュアになったりするなど、社会的な視点でもプリキュアシリーズが注目されるようになってきました。

とてもありがたいことではあるのですが、「子ども番組として、見て楽しい」というのが作り手としての第一なので、自分は今でもプリキュアに「まずはエンターテインメントであってほしい」という気持ちがあります。

最近は妙に「高尚なもの」と持ち上げられて語られることも増えてきた印象なのですが、もっと肩の力を抜いて、気軽に見てほしいなと。

例えば、『ふたりはプリキュア』の企画書に書かれていた「女の子だって暴れたい」というコンセプトが特に最近、誇張されて広がっているように感じています。

その言葉は間違いないし、そのコンセプトのもと20年間やってきたのですが、僕はその言葉を、長年現場の中で一回も聞いたことがないんですよね。数年前から急に再注目されて、それ以降言葉だけが一人歩きしているという感覚があります。

もちろん他にも、制作陣がエッセンスとしてそれぞれのシリーズで入れている表現やメッセージは当然あります。でもそれは時代ごとに、子どもたちの方を向いて真剣に作ってきたからこそ出てきたものであり、それ自体が目的ではないと思うんです。深い部分を読み取ってもらえているのは嬉しいのですが、そこをことさら強調したくないというか。

基本的にはプリキュアたちのかっこよくて可愛い姿を見て、ちょっとでも自分も頑張ろうって思ってもらえれば十分かなと。そういう意味では、決して特別なことをやろうと意識してきたわけではないんじゃないかな、と。

諦めなければ絶対に夢は叶う」なんて嘘は、つきたくない。『プリキュア』シリーズ、田中裕太監督の希望の伝え方【20周年インタビュー】より

子供のために作られているというのは今回の記事でも多く引用させてもらったヒーリングっど♡プリキュアオフィシャルコンプリートブックのスタッフインタビューを見てもまず子供にどう思ってほしいか、感じてほしいか、こう伝えたいから始まるインタビューが多いことからも分かります。
そのように子供に向けて作ってるプリキュアシリーズに大人があれこれ言い出すのも一種の「先入観」に囚われていると言えるかもしれません。

プリキュアを見る時には我々大人はあくまでも子供たちが楽しむもののおこぼれを貰ってるだけというスタンスを崩してはいけないと自分は思っています。
プリキュアは子供たちを魅了し続けた結果、20年続いてきた非常に魅力的な作品、シリーズです。
その魅力が大人たちも巻き込んで大きくなって20年続いてきたと思っています。
だからこそ子供たちと同じようにプリキュアを応援することを大切にしていかないときっといつか大問題が起きてしまうと思っています。
そうならないために我々がやれることをしっかりとやっていくことが重要なのです。


最後になりますがこの記事を見た方に問わせていただきます。

あなたの好きなプリキュアの魅力を誰かに伝えるのにどのような伝え方をすればいいと思いますか?


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