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ギーゼブレヒト伝に現れたレーヴェ(4)
この記事のシリーズは、文献学者フランツ・ケルンが書いた『ルートヴィヒ・ギーゼブレヒト 詩人・学者・教育者』という伝記に依拠しつつ、ギーゼブレヒト(1792-1873)と長年の同僚であった作曲家カール・レーヴェ(1796-1869)の足跡をたどる試みである。(1)では出会いの頃と、1832年に始まる共同の創作が、(2)ではヘーゲルの『宗教哲学講義』の線に沿ったオラトリオの構想が、(3)ではマインツの音楽祭におけるオラトリオ《鉄の蛇》の大成功と、同じくオラトリオ《グーテンベルク》の(ギーゼブレヒトから見れば)失敗およびその後が跡づけられた。今回はオラトリオに関する記述の残りと、ふたりがギムナジウムの記念祭のために行なった創作を、「祝福(Segen)」というテーマのもとに(無理矢理に)まとめてみたい。
ケルンは詩人としてのギーゼブレヒトについて、その本領は叙事でも劇でもなく抒情だとしたうえで、その抒情の力強い流れは彼のオラトリオをも滔々と浸していると評し、例として《アッシジの祝福》を引用する。人間的な福利のためにせっせと働くことと、世俗を離れて神のうちに生きることとの対比が、アッシジのフランチェスコとその両親の対話として表現された箇所である。
暗い木陰をなす樹々はざわめき
葡萄の蔓は家にまつわる
そのなかではふたつの足音に
耳と心が聴き入っている それは外を見る
おまえのものだよ 谷にある家も
親しく微笑む花嫁も おまえのものだよ
カナの婚礼の祝宴で
イエスの最初の奇蹟が見られたではないか
〔…〕
なんと重たく蜜を運んで蜂が飛ぶことよ
働き者の蜘蛛は巣を織る!
喋れない動物たちがこう言うのが聞こえないか?
「生あるすべてよ 作れ 働け」と
だから黴臭い僧房を避けよ
それは夢見る思念にのみ気に入るのだ
さあ立って 人生の波の上に出ておいで
活動的な人間世界のなかに!
これは両親の言葉であろう。フランチェスコは答える。
祈りこそが真の行為です
世の慌ただしさのなかでする勝利の行為です
〔…〕
祈れ 祈れ すべての心よ
人知れぬ小部屋のなかで!
勝利しつつ夜と苦痛を通り抜け
祈りは光に迫ってゆく
いつか地上に住まう私たちを
純粋な精神の世界でもって
祈りは滅ぼしつつ高める
涙がもはや落ちない地域へと――
それは天国か それは地上か
祈りはふたつを同じくするのか?
私がいるところも 私がなるものも
私のなかにも 私のまわりにも キリストの御国
仮に「滅ぼしつつ高める」と訳した動詞の原語は、お察しの通りaufhebenである。ギーゼブレヒトがヘーゲルから受けた影響は、詩句のなかからも響き出ている。
作品目録によれば、レーヴェの作曲は未完に終わったらしい。完成されていれば、20世紀のオリヴィエ・メシアンによる歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》に先んじた重要な作品になったかもしれない。レーヴェは幼少期を通じて自然に親しみ、鳥類をも愛したというから(Kühn[1996: 51])、鳥への説教の場面をどう作曲するか聴いてみたかった。
さて次の祝福は、1843年(後述のマックス・ルンツェによれば1844年6月11日)に催されたギムナジウムの300年記念祭のためにギーゼブレヒトが書いた「記念祭の祝福」である。お祭りの3日目に生徒たちは教師たちとオーデル河を下り、ゴッツロウへ行って森の多いユーローの丘に登った。そこで生徒たちは食事をし、踊り、古い歌や新しい歌を歌った。そのなかにはギーゼブレヒトの詩による歌もあった。帰り道にシュテッティンが近くなったところで、みんなはお祭りの締め括りとして「記念祭の祝福」を歌った(Kern[1875: 99])。
露に濡れて影が覆う
河や草地をゆっくりと
夕映えは西にあって照らす
私たちの憩わんとする一日を
さあ 敬虔な善い終わりのために
歌よ もう一度挨拶を!
夕焼けに 朝焼けに
もう何千回なったことだろう
昇っては また沈む
この谷の上で
今日の大切な幸福は
なお何回も新たにされる
平和と祝福がすべての上にある
すべてに朝が輝くだろう
すると精神の大河は
より豊かに限りなく波打つだろう
神と愛の力のうちにあって強い
ひとつの世代よ目覚めよ
ケルンはなぜか名前を挙げていないが、作曲したのは紛れもなくレーヴェである。マックス・ルンツェ(彼もこのギムナジウムの生徒だった)が編集したレーヴェの歌曲とバラード全集に、同じ歌詞の作品が〈夕べの歌〉として収録されている(Runze[1902: 112])。
かつて私は東京文化会館の音楽資料室で、リプリントされたルンツェのレーヴェ全集を見ながら、芸術的には取るに足らない作品が多く収められていることを怪しんだものである。しかし今やその認識は改められた。レーヴェはギムナジウム教師として音楽教育に当たったのだから、少年たちの教材として作曲した歌もあれば、このように学校行事に際して作曲した歌もあった。人間としてのレーヴェに近づくためには、一見取るに足らないような作品もまた不可欠であり、それらを残しておいてくれたルンツェには、今更ながら感謝が尽きない。
参考文献
Franz Kern: Ludwig Giesebrecht als Dichter, Gelehrter und Schulmann. Als Anhang: Ferdinand Calos Leben erzählt von Ludwig Giesebrecht. Verlag der Th. von der Rahmer, Stettin, 1875.
Henry Joachim Kühn: Johann Gottfried Carl Loewe. Ein Lesebuch und eine Materialsammlung zu seiner Biographie. Händel-Haus Halle, Halle an der Saale, 1996.
Max Runze (hrsg.): Carl Loewes Werke. Gesamtausgabe der Balladen, Legenden, Lieder und Gesänge für eine Singstimme, Band XVI, Das Loewesche Lied, Verlag von Breitkopf & Härtel in Leipzig, Brüssel, London, New York, 1902.