『ガラスの宮殿』その他

山梨正明『小説の描写と技巧』(ひつじ書房)
 認知言語学の観点から小説の表現を検討する本。
 文体の舵を取るやつではやれ方言を使ってみろだの句読点なしで書いてみろだの形容詞を使わないで書いてみろだのバカバカしいトレーニング課題しかなくて、あんなものをやったところでじゃあ文章力がつくかといわれるとたぶんみんなぜんぜん自信を持てないだろう。そんな中サイズの文体よりさきにもっとミクロな文体でわたしたちは困ってるからである。

 たとえば小説の冒頭をどう書き出すか?

1a わたしが招かれたお屋敷にはご主人の趣味だというバラ畑も立派な中庭があって、その片隅にはこぢんまりとした四阿があった。
1b 四阿から望む中庭にはご主人の趣味だというバラ畑が立派に咲き誇っていて、わたしはといえばその背後にみえるお屋敷の客人として招かれていた。

 さて、この二種類の選択肢はなにを反映しているのだろうか?

 つぎのふたつの表現はどのように使い分ければよいのだろうか?

2a かれの右手がやさしく彼女の頬をなでた
2b かれは右手でやさしく彼女の頬をなでた

3a 海が近づいてくる
3b 海に近づいていく

 大半のひとはこういう選択肢に迷い続けてル=グウィン先生が大仰に振りかざすようなアスレチックに取り組むところまで行けていない。そもそもこういう選択肢が存在しうるということにすら気づいていないかもしれない。

 と思って楽しく読んでいたら、認知言語学の視点から文体論を語る三章までは面白かったものの、四章からは非常に雑な話がはじまって萎えてしまった。同じ文章を二回引用して、しかもそれぞれ出典が違う(青空文庫を使うこと、ある?)のとか、ひつじ書房はなにをやっているんだ?


井上敦『敦煌』(新潮文庫)

 あらすじ:インテリの俺は寝坊して科挙を落第させられたけどチートスキル《識字能力》で田舎で軍人として成り上がります~亡国の姫が俺に懐いて離れない件

 するする話が進むのでまぁ面白いっちゃ面白いが展開と展開のつなぎがべつに凝ってるわけでもなく、国産 RPG みたいな剛腕さで真実味がない。べつに真実味がないからダメということもなく、そのおかげでちょっと神話っぽくなっているのだが。

 敦煌文書って重要だから当時のひとが頑張って隠して遺したというよりはいまはもう重要じゃないからその辺に捨てて置いたら残ったし重要じゃない文書だからこそ研究の素材として重要みたいな扱いになってるらしいが、なんだかロマンのない話だ。


イーディス・ウォートン『無垢の時代』(岩波文庫)

 傑作だ~。「一八七〇年代初頭、ある一月の宵。純真で貞淑なメイとの婚約発表を間近に控えたニューランドは、社交界の人々が集う歌劇場で、幼なじみのエレンに再会する――。二人の女性の間で揺れ惑う青年の姿を通じて、伝統と変化の対立の只中にある〈オールド・ニューヨーク〉の社会を鮮やかに描き出す。」←あらすじがもういいもんね。

 エレンはニューランドからすれば新しい価値観を体現する女性に見えて、そこに愛しいが退屈なメイには得られないものを見出そうとするのだが、そうはいってもエレンも家父長制的な価値観からほんとに自由なわけでもなく……う~ん、おれたちは美禰子の幻影から逃れられないのか?


アミタヴ・ゴーシュガラスの宮殿』(新潮社)
 なんかこのまえ吉祥寺のブックオフで『カルカッタ染色体』を手に入れたんだけどその半月後くらいにこれを荻窪のブックオフで買いました。こんな都合よく集まってよいのか?
 なんか新潮クレストのはペーパーバック版の表紙を左右反転させたものが表紙になっててウケる。

 インド人孤児のラージクマールとビルマの王宮で侍女をしていたドリーの幼少期からかれらの子孫の生涯までとにかく長い時間を飛び飛びにいろんな時期のいろんな人物の視点からつまみぐいしてみせていくかんじ。ビルマ版の朝ドラだ。おもしろかった。


イタロ・ズヴェーヴォ『ゼーノの意識』(岩波文庫)
 おもしろい! ジョイスが褒めたとか意識の流れとかいわれてあーまた小難しい系ね?とおもったが、素朴に通俗的だ。それぞれ独立性の高いエピソードで章が区切れてるのも読みやすいし。
 美人ぞろい(という評判)の四人姉妹(ぜんいん A から名前がはじまる)とラブコメして誰と結婚するのかみたいな章、けっきょく三番手くらいの女と結婚したもののまぁなんだかんだその女のことを愛するようになってきたのにそれはそれとして浮気する章、一番手の女と結婚した義兄と商社をやるもののとんでもない意志の弱さと能力の低さでどんどん事態が悪化していく章とわたしの好きそうなものばっかり並んでいるので非常に良かった。
 主人公は内省ばっかりうるさくて嘘つきだし優柔不断だしまるきりのカス人間なのだが一歩引いて眺めてみると主人公がじしんのことを思ってるほどのカス人間には見えないのが不思議だ。

紙城境介シャーロック・アカデミー』(MF 文庫 J)

 なめてんのかボケ~
 あんまり出たばっかのミステリのネタバレ感想をやることはないが、そんなに丁重に扱う気も起きなかったので以下ネタバレ(ふせったーに書いたやつを含む)。いちおう未読の人は線のあいだを飛ばしてね。



ルミノール反応を目印にしたのはいいんだけど
それって「帰り」のときは浴びた返り血も光るんじゃないの?
ナイフを抜いたなら返り血を浴びないことは不可能だし、
「手のひらには血が付いたはず」というのを消去法に用いてるから言い逃れできない
客席から口に付いた大根おろしの発光まで見えるくらい超人的な視力の持ち主たちの集まりなら
確実に「帰って」ゆく謎の青白い光が目撃されたはずなのだが
あと凶器のナイフと糸とそれらについた指紋はどうやって処分したことになってるんですか?
模擬事件のダミー推理だからといっていくらなんでもひどすぎる

そもそも一個目の事件の「叙述」トリック自体が叙述として機能しなかった。どう考えても衆人環視の中で「死体」を出現させたトリックが主体になるだろうと思ってたからどんでん返しっす~みたいなことやられてもぜんぜん驚かなかった。

で、一個目の事件も二個目の事件もけっきょくテストだったってオチ、何?それやったら今後この小説を誰も真面目に読んでくれなくなるだろ。
そんな人工的な事件でいいんだったらいくらでも作為的にできるよな。なのにこんなこじんまりしててしかも矛盾だらけなのってどういうことなんだ?



あとはラノベ部分がぜんぜんおもしろくなかった!
キャラクター造形は三足で千円の靴下みたいだし、巨乳のキャラがどんどんでてきてはなんか自由意志とかなさそうなエッチ展開を雑に供給してくる。

挿絵もひどい。数がそもそも少ないし、ただの立ち絵みたいな絵が大半を占める。ラノベの挿絵なんてピンキリだからこれでもべつに特筆するほどひどいということもなかろうが、にしたってウオオオオしらび先生を使いました!!!みたいな宣伝しといてこれじゃただの客寄せパンダじゃんね。

とにかくなにもかもひどかった。こんなんじゃせいぜい西尾維新とかその程度のレベルだ。小手先のどんでん返しで読者のお目こぼしを願うのではなくて、面白い謎かよくできたトリックか切れ味のよいロジックを考えたほうがよいのではないか。しょうもない多重解決やそれをやるためにプロットぜんたいが無茶苦茶になっている二段オチの手法をいつまでも擦らないでほしい。
 よく考えると紙城で面白かったのってウィッチハントの最終盤と君解きの一巻目の最後のやつだけだ。