『フルメタル・パニック!』その他

アイラ・M. ラピダス『イスラームの都市社会』(岩波書店)
 マムルークって……かっこいいね。よそから奴隷を連れてきて高度な教育を与えてエリートに据えるっていう仕組みってどれくらい頭いいんだろう。世襲されないっていうメリットはあるだろうけど忠誠を誓わせるやりかたが(べつにそれは物でも心でもよいのだが)相当確立されていないと難しいだろうな。
 ローマとかヴェネツィアとか、その時代の世界標準からすると圧倒的に栄えていた地域の社会経済史を読むとウオーさすが俺たちの(任意の国家や王朝の名前)だぜとなって萌え萌えしながら読めるが、こういうふつうの国家のふつうにちょっとうまくいってなさそうな国家運営をみるとウオーもしこんご異世界転生とかすることがあったらこれも役に立つかもしれないぜという気持ちになる。ならないか。アミールがすぐに商人に在庫を強制購入させるのでちょっとウケる。

山内志朗『中世哲学入門』(ちくま新書)
 本はちゃんと校正してから出してください。あと入門させる気がないのに入門をタイトルに冠するのはそういうギャグだというのはわかっていても悪質だと思う。まぁしかしなんだか山内先生はよくわからない種類のアイドルになってしまった。

サミュエル・シェフラー『死と後世』(ちくま学芸文庫)
 あなたはあなたやあなたの愛するひとたちがあと数十年ものうちにみんな死んでしまうことを疑っていないし、この事実(信念)を認識したところで深く動揺することはない。ところが、われわれの死後三十日後に地球に隕石が衝突して、人類が滅亡するとしたら、ひとは深く動揺するのではないか? 人類が不妊化して、現生人類の最終世代が息絶えたときに人類そのものも滅亡するとしたら? たとえば、癌の治療法の研究はすぐに成果の出るようなものではない――じっさい、たとえば数十年後に癌が完治する病になっているかどうかはまったくわからない――うえに、仮にあなたが癌の治療法の研究を飛躍的に進歩させたところで、人類がその恩恵を受ける期間は非常に短いことが予想されるが、それでもあなたは癌の治療法の研究にいままでとおなじように全身全霊を傾けることができるだろうか? あなたが書いた小説やあなたが作った音楽はあなたの死後三十日で地球と人類とともに滅んでしまい、もうだれもそれを楽しむことはないが、それでもあなたは傑作を作り上げることに真剣になることができるだろうか?
 そういう意味で、われわれの人生を有意味なものにしているもののうちには、われわれの死後も(たとえそれがわれわれにまったく無関係なひとびとであったとしても)人類が存続するということが含まれているのではないか? そういういみで、われわれは未来の世代に対する配慮をする理由があるのではないか? というのが本書の主題。
 "Afterlife" とは「われわれの死後も人類が存続すること」を指していて、通常このことばが意味する「われわれじしんの死後も生が(なんらかのかたちで)続くこと」ではない。とはいえ、議論の形は似ている。「天国や地獄がないのであれば、なぜ現世で善行を積まねばならないのか?」と「人類がわれわれの死後も存在するのでなければなぜ人生をまじめに生きなければならないのか?」には似たようなところがある。
 ところでさいしょにまとめたシェフラーの主張をみればすぐにいろいろと反論が思いつくだろう。たとえば、おれが小説を書くのはフォロワー数人に読んでもらうためだし、なんならじぶんが書いているあいだ楽しければそれでよいのだ――とか、たとえ数十日であろうと苦痛を和らげることができるかもしれないのであればわたしは癌の治療法の研究にいままで通り、あるいはいままで以上に真剣に取り組むであろう――とか、そもそも人類の滅亡がわれわれにショックを与えるのはそのニュースに触れて最初のうちだけであって、終わる世界のなかでもひとびとは協力し合って有意味な生を送るであろう――とか、未来世代に対する配慮は未来世代に対する直接の配慮ではなくて、未来世代が存在することでわれわれの人生の意味が豊かになるというその点における自己利益的な配慮なのではないか――とか、人類も地球も太陽系も数十万年、数億年、数百億年というタイムスケールでみれば確実に滅亡するが、その想定はわれわれの人生の意味を阻喪しないのか――とか、そういう。じっさいこれはシェフラーの議論に四人の哲学者がコメントするという構成になっている本書後半部でも触れられている。

 まぁ直観バトルがはじまってしまうよな、というかんじ。シェフラーのインスピレーション元は P. D. ジェイムズの『人類の子どもたち』とその映画化で、(わたしは小説は読んだけど映画はみてない)たしかにジェイムズの小説(のとくに前半)ではいろいろの人類の無気力化が書かれていた。『地上最後の刑事』とかも読んでみたらよいのではないか。というのはさておき、シェフラーはこういう想定をしてみたらこういう反応がありうる、といい、それを根拠に死後の後世の存続はわれわれの生の有意味性に貢献している、というが、「こういう反応」を取らないひともぜんぜん想像できるしで、直観由来の議論はあまりスマートに万人を説得しない。
 とはいえ直観由来であるだけに譲歩を繰り返せばまぁそりゃそうだろうなというところまで後退はできて、「人生を有意味にしているもののうちある部分は後世のある程度の期間の存続を前提にしている」くらいであればある部分とかある程度の範疇を任意にいじることでうなずきやすくなるだろう。それがどれだけ有意義な結論になるかはともかく。

 もちろんシェフラーの議論はここでまとめたほどちゃちなものではないし、われわれの生を有意味にするものとしての後世という論点を作り出したことはたしかにみるべきところがある。わたしは最初この本の梗概をみたとき、パーフィットの『理由と人格』のⅣ章みたいな話をするのかとおもったが、どちらかといえばⅡ章みたいな話をしていた。未来世代に対する配慮をパーフィットは非同一性問題の観点から攻めたが、シェフラーはこの路線は取らず、人生(の意味)には自己利益説では説明できない面があるという路線から攻めたと(も)考えられる。

賀東招二『フルメタル・パニック!』(富士見ファンタジア文庫)
 面白い! なんでいままで読んでこなかったんだ? 戦う男の子、守られる女の子、しかし守られる側の特殊能力が反撃の起点になって……うーん、美少女を侍らせてついでに戦わせるフィクションはこういうのを逆張ってるうちにできたんやろなぁ(雑な歴史化)。こういうのと艦これやブルアカで温冷交代浴すると整う。現代人の特権やね。

『フルメタル・パニック! 2』
 テッサたそ萌え萌えすぎ笑
 敵さあ、なんかロロ・ランペルージみたいだねこいつ。

『フルメタル・パニック! 3』
 表紙のテッサたそ萌え萌えすぎ笑 なんらかの法に抵触してるだろ笑
 手に汗握り度(ど)が急激に増してびっくりしてしまう。
 戦いのなかで死んだ仲間の名をテッサが点呼で呼んでマデューカスがそれに
「パトロール中です、艦長」
 って答えるとこ……号泣

『フルメタル・パニック! 短篇集 1~3』
 水星先生の回が良かった。