『方舟』その他

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』(角川文庫)
 小学生のころ読んだやつを再読した。なんでとつぜんそんなことをしたくなったかというと……たぶんダイナゼノンのせい。世界の危機と人生の危機をまったくおなじ重さで扱うこの感覚がなんとなく懐かしくなってしまったのだ。じゃあはてしない物語とかでもよかったんじゃない? まぁそっちもそのうち読み返します。
 再読して思ったのはやっぱり現代編が圧倒的に面白いということ。小学生の頃も幻界編のほうはあんまりハマらなかったのだが、読み直してもあんまりハマらなかった。とはいえ、人生という病に対しては対処療法ではなく根本治療の道を採るべきであるというストレートなメッセージはよい。


鈴木悦夫『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』(偕成社)
 ブレイブ・ストーリーってそういえばよく子どもの頃のトラウマみたいな扱いもされるよなとおもって子どもの頃のトラウマといえばこれだろうと思ってよんだ。
 さすがにミステリ慣れしてしまっていると衝撃を受けるというほどでもない。妙に凝った父親の事件の "真相" だとか母親の事件の "動機" だとかはかなりよく、どちらかというとこの作品のいちばん大きい歪みよりこういう本格オタクっぽい細部の処理で "歪まされ" てしまう少年少女がけっこういそうだ。

J. M. クッツェー『恥辱』(ハヤカワ epi 文庫)
 ノーベル賞作家の本が面白いと思えないなんてあたしは……センスないのかしら!?みたいな思い悩みをもちろんわたしだってするが、胸に手を当てて考えてみたところどうしたって面白くないのでしょうがない。なんで面白くないかというとフランゼンをもうすでにわたしは知ってしまっているから……。インテリが教え子と不倫してハチャメチャになる話なら『コレクションズ』のチップ章のほうが面白いし、レイプ被害者とその家族のすれ違いなら『フリーダム』のほうが面白い。真面目なクッツェリアンからはそもそも面白いとかそういう物差しを持ち出すのが筋悪で……という話になるだろうしそれはそうなのだが、『恥辱』の前半のデイヴィッドの描き方は文学的技法としての(真面目な主張をするための)戯画であると同時にやっぱりどうしたって面白がらせの一種ではあるだろう。ただ、その面白がらせですらフランゼンの方が面白い。思うにクッツェーはじぶんやじぶんのまわりのものについてはいろいろと恥ずかしいところや憎むところがあって全世界のみなさまにおれはこんなに自己批判できてるとアピールしているが、フランゼンは全世界を憎んでいて、どっちが好きかは好みなのだろう。わたしはこういうベローっぽいインテリのオナニーに付き合わされるのは好きではない。

ニコラ・ポワソン『デカルト『方法序説』注解』(知泉書館)
 コギト命題の話をほとんどしないでそのかわりずっと動物に魂はないって話の注解がクソ長かったんだけど、動物に魂があって、そのゆえに苦しみを感じるとするなら、神が創造において不正を働いたことになる(人間には原罪があるので苦しむ(=魂がある)ことになってもよい)のでありえないって理屈がかなり推されてて、動物に優しいのか厳しいのかわかんねえなってなった。

夕木春央『方舟』(講談社)
 ランキング総なめしてるし現代ミステリでもお勉強させてもらいましょかwくらいの気持ちで読みはじめたら激面白くて没頭してしまいました。大ネタももちろんよいはよいが、ウエスのロジックも爪切りのロジックも小粒でピリリと辛くてよい。そもそも、クローズドサークルものにおける
・そもそもなんでいま殺すの?
・サバイバル中のいま犯人当てに必死になる必要なくない?
・あとで科学捜査されたらどうするつもりなの?
あたりのプロット上の興ざめしがちポイントをあたりまえかのようにクリアしてたり、本格オタク小喜びポイントが多くてよい。良心派だ。

『野上弥生子短篇集』(岩波文庫)
 野上はとにかく文章が……うまい! のに、作るエピソードのいちいちが目鼻の付いたしっかりしたもので(どうも実体験をもじったものほど結構がしっかりしているような気がするのだが……)、ずるい。
「茶料理」がとてもよい。

ウラジーミル・ナボコフ『絶望』(光文社古典新訳文庫)
 あんまりおもしろく……ない! ナボコフが小説についての小説を書いてしまうのはもう職業病だからしょうがないのだが、露悪的にすぎると興ざめなのだ。これでロシア語時代のやつは『偉業』以外全部よんだがやっぱりルージンディフェンスと賜物がめちゃくちゃ好きだ。

ポール・ギャリコ『銀色の白鳥たち』(ハヤカワ文庫 NV)
 O. ヘンリーとかジャック・フィニイみたいに上手くて温かくてひとにプレゼントするのに最適な短編作家というのがたまにいるが(べつにこれはかならずしもじぶんで読むにはちょっと退屈だという意味ではない)ギャリコもその枠だ。わたしのなかのカントが女性キャラクターのことを獲得すると物語が盛り上がる一種のトロフィーみたいに扱っちゃってない?みたいなことを囁くがそれを黙らせるとおおむねどれもかなり質が高いツイストの効いた佳作ぞろいだ。
「マッケーブ」も「ローマン・キッド」もジャーナリズムが勝利を収める話で、これを最初と最後に入れたのはなかなかギャリコ先生の自己肯定感も筋金入りですな、という気持ちになる。
 傑作なのは「おお、あのゴールデン・グローブズ」と「ローマン・キッド」の二作。どっちもボクシングの小説だが、ミステリ的趣向がばっちり決まってるので読者も KO してやろうというギャリコ先生の意気込みを感じる。
「ローマン・キッド」は、出張先のローマで好きになった女の子のパパが昔発掘して論文まで書いた像に贋作疑惑をかけられてるってんでアメリカ人のスポーツ記者が得意のボクシング知識を活かして疑惑を晴らしちゃう、ついでに女の子とも仲良くなっちゃうってお話で、この骨格だけでもう相当面白いのだが、途中でいまはもうただの観光地になったコロッセオに行ってそこでローマ時代はどんなふうにひとびとが試合を楽しんでいたかをジャーナリストというよりもう熟練の作家みたいな長広舌で再現するところのエクフラシスがほんとによい。
 不愉快な気分になる要素を入れず、それでいてちゃんと面白いという難題に真っ向から挑んで成功してしまうギャリコ先生はすごい。

明月千里『月見月理解の探偵殺人 1~5』(GA 文庫)
 中学生か高校生くらいのころ読んだのをとつぜん読み返したくなって読み返した。とてもおもしろい。『トリックスターズ』とおなじくらい話題になってよいと思う。いや、トリックスターズもちゃんと話題になっているのかどうかわからないのだが……わたしはあらゆる界隈に属していないので……。
 人狼を模した頭脳ゲームとふつうのミステリっぽい殺人(自殺)事件をどちらもやるというのが五巻通してのコンセプトで、しかも各巻でどちらの要素が強めかはバランスが異なるというのが面白いところ。ゲーム部分よりミステリ部分強めな前半の巻(とくに二巻)がわたしはお気に入り。
 とはいってもこのシリーズが面白いのは頭脳バトル部分のルールやロジックの完成度というよりは(それもめちゃくちゃ完成度が高いのだが)、誤解からすれ違っていたふたりが和解するところだったり、過去のトラウマに傷つけられていた登場人物が再び歩み出すところだったり、王道を踏まえたストーリーがちゃんと横たわってるところだ(しかも大体の場合これを「真実を本人には明かさないで」これをやるのがいい。真実ばかりが人を救うわけではないというテーマがけっこうすき。赤村崎葵子はさらにこの真実を登場人物のみならず読者にも隠すのでさらに好きなのだが……)。
 あとはとにかく交喙ちゃんがかわいい。並の作家なら、このキャラデザ、この性格の子には主人公を「先輩」と呼ばせてしまう。明月千里を舐めてはいけない。「お兄さん」。これである。メインヒロインの理解よりよっぽど人気があったというのもうなずける。