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もはやお人好しとはいえないレベルに…

スサノオは高天原から追放された直後に、オオゲツヒメという気の良い女神を殺しています。この女神は死ぬとかえって豊穣をもたらしてくれるので、農耕でやっていこうとする場合にはやっつけちゃうのが正解です…

彼女は食べ物を供して相手をもてなしてくれますが、その際に料理を鼻や尻の穴から出すという特色があるために、それを見咎めたスサノオが、「おいおいおい、汚ねーな!」といってやっつけてしまいます。
この場面で興味深いのは、この挿話が語られる段落の最初の一文字が、「又」になっていることにあります。

ここは普通「故(かれ)」で受けるべきではないか、そう本居先生も仰ってます。どういうことかというと、「故」であればこれは、高天原から追放されて出雲の国に赴く途中のスサノオが、お腹が空いてオオゲツヒメのところに立ち寄ったという話になります。普通ですよね。ちなみにオオゲツヒメは徳島県に居ると思われます。

ところが、「又」が正しいとすると、全く別の話になるのです。この場合オオゲツヒメが饗応しようとしている相手は、八百万の神々になります。
つまり、「アマテラスの機嫌も直ったし、スサノオも追放したし、とりあえず一段落ついた。さあ、なんか食べるか」となった八百万の神々のために、オオゲツヒメは徳島県からケータリング・サービスでやって来ている。それをスサノオが殺しているのです。

自分を追放したばかりの神々が、何を食べていても良さそうなものですが、「そんな尻の穴から出したモノなんて食わせるな」といって、スサノオが殺している。
ちょっと普通の感覚からしたら、いくらなんでもスサノオの面倒見が良すぎると思われませんか? だから本居先生も、ここは本来何か別の話が前にあったのが、脱落しているのだろう、と推理しました。

ところがこれ、実は「又」が正しい可能性もあるのです。
というのも、その後出雲の国に行ってヤマタノオロチを退治したスサノオは、オロチの尻尾から見つかった天叢雲の剣を、即座にアマテラスに届けているからです。
いや、そこは自分で持っとこうよ、スサノオ!…って思うじゃないですか…さすがにいつまでもアマテラスの面倒を見る義理もないでしょ…アマテラスはアマテラスで、「あ、なんかいい感じの剣。三種の神器に入れちゃお😍」って…君たちは一体何をやっているんだ?って思いますよね…

でも、もし本気で古事記の一貫性を信じるなら、「又」で間違いないっぽいんですよね…スサノオは実際、病的なまでに面倒見が良いのです。

つづく…

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