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辞世とは死にぎわに残す歌や詩のこと。 仕事で歴史上の有名人についての記事を書くとき、彼ら…
弘智(?-1363)は厳しい修行の末に即身仏となった。 「即身仏」をご存知だろうか。 途中で投…
戦国武将を語るときに、この人物を忘れるわけにはいかないだろう。 信濃の覇権を巡り武田信玄…
室町幕府第34代管領細川晴元に仕えた、三好元長の次男として誕生したのが三好実休(1526か27-1…
戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏…
1566年、上野国の箕輪城は武田信玄の軍による総攻撃で落城した。 安藤九郎左衛門(?-1566)は…
「戦国百人一首」もあと10首を残すことになった。 誰もそんなことなど気にしてないかもしれないが、まあ、note worldの中のごく一部の存在であるし、自分が好き勝手にやっていることなので、承知の上である。 「戦国百人一首」なんてずいぶん勇ましいネーミングなんだが、終わるのに時間がかかっている。 少し忙しいとnoteへの投稿が後回しになるもので。 「戦国百人一首」では、戦国時代に生きた人々の辞世やそれに代わるもの、そして彼らにまつわる話を紹介してきた。 中には100%正
戦国の世には理不尽な死も多く見られるが、彼女の死もその一つである。 わずか15歳のおいまの…
武将・佐々成政(さっさなりまさ/?-1588)は、尾張国春日井郡の在地豪族の家系出身である。 …
織田信長に見出され、豊臣秀吉を大いに助けた戦国武将、それが蒲生氏郷(1556-1595)だ。 洗礼…
1441年、播磨守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)が、有力守護を圧迫する将軍足利義教を謀殺し…
豊後国を中心に勢力を伸ばした戦国大名大友宗麟は、家臣に「風神・雷神」を持っていた。 「雷…
信濃の戦国大名で、諏訪氏第19代当主だった諏訪頼重(すわよりしげ/1516-1542)。武田信玄に切…
幼名・梵天丸。 伊達政宗(1567-1636)は5歳のときに疱瘡(天然痘)にかかり、右眼を失明した。目は見開いたまま白濁していたという。 曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く 暗闇を照らす月光のように、己の信念を光として 先の見えない(戦国の)世をただひたすら歩いてきた生涯であった 政宗の辞世には2パターンが伝わっている。 上記は、政宗の辞世として比較的よく引用されるものだ。『貞山公治家記録』巻之39下(1703年)に記されている。 困難の多い生涯ながら自