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今回は芸能人のことについ紹介します

松本人志はどんな人か紹介します

松本人志は日本のお笑いタレント漫才司会者師ボケ担当
テレビは水曜日のダウンタウンガキの使いあらへんでダウンタウンDXに出演してます。

平成以降の「お笑い」においての最重要人物は、紛れもなく松本人志である。毎日のようにテレビに出演しながら、「笑い」を日常的にお茶の間で楽しむコンテンツに押し上げ、その一方でストイックな実験と挑戦を何度も繰り返してきた。

松本人志氏の歩んできた歴史は大きく3つの時代に分けられる。「破壊者」の時代、「開拓者」の時代、そして「ゲームメイカー」の時代だ。
破壊者としての若手時代はデビューから東京進出までの数年間、漫才を本業としながら舞台を中心に活動していた時期だ。「チンピラの立ち話」と批判された、発声、立ち方、ネタの構成に到るまですべてが斬新だったダウンタウンの漫才は、若者からの絶大な支持を獲得した。
お笑い芸人と言えば「クラスの人気者」「明るいお調子者」といったイメージが強かった中で、松本氏のようにボソッとボケて笑いを取るスタイルは古い芸人像に対するカウンターであった。徒弟制度が一般的であった時代に師匠を持たないキャリアを選択する姿勢、そして媚びることや「笑われる」ことを避け、客より上の立場から「笑わせる」姿勢はそれまでのお笑いの価値観を破壊した。
芸人の社会的地位の向上への当時のダウンタウンの貢献は計り知れない。その人気はお笑いファンの枠をすぐにはみ出し、アイドル的人気と合体して爆発した。
言うなれば、お笑い界の伝統そのものが敵だった時代。プロの中に味方が少なければ少ないほどフリが効き、ダウンタウンの価値は相対的に高まった。「誰もがわかる笑い」から「わかる人だけついてこい」の笑いへ。

「開拓者」としての松本人志:地上波テレビではできない実験を繰り返す

松本氏が「理解できる人」と「できない人」を区別する笑いを実践しているとき、理解できない客がそれを表明することは自身の「センスのなさ」の白状になってしまう。自ずと、松本氏のファンの中には緊張感が漂った。

松本氏やそのチームが望むと望まざるとにかかわらず、カリスマ性は螺旋階段的にインフレしていった。それは、デビュー当時から笑いの主導権を握るプレイスタイルを貫いた松本氏が背負った宿命であった。

すべての後輩芸人に影響を与えた松本氏の実験はクローズドな場に移っていく。

多様な笑い」と「笑いの点数化」でのジレンマ

より多くの視聴者に支持される、地上波で長く使えるフレームを作るミッション。それはかつてネタや映像、舞台でやっていた「わかる人にだけわかる」実験とは真逆だ。

『一人ごっつ』(フジテレビ)での「全国お笑い共通一次試験」で、大喜利回答を添削・採点していたころの松本氏はその行為自体を半ばボケとして演じていたが、現在では賞レースの点数が毎回ネットで本気の議論を呼ぶ。「何をくだらないお笑いを真剣に採点してるんだ」というツッコミが香る企画だったものが、いつの間にかその数字に論理的整合性が求められるほど「ガチ」なものになってしまった。

『M-1グランプリ』も毎年、審査員たちの「やりたくない」「来年はもうやりませんよ」といった半ばボケ、半ば本気とも取れるぼやきから開幕する。「多様な笑い」と「笑いの点数化」の間のジレンマがお笑いブームと同時に根深く進行してきた。

松本氏はシーズン1の冒頭で、大晦日恒例の『「笑ってはいけない」シリーズ』(日本テレビ)について、<よくも悪くもエンターテインメント性が高くなり過ぎている>と話している。その一方で、『ドキュメンタル』については<テレビでは視聴率が取れないでしょうね。本当に一生懸命見てもらわないと、このおもしろさはなかなか伝わらないし、相当客を選ぶ>とも語る。


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