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自分の気持ちを確認する

※あくまでの今の段階での私の考えです。フラッシュバックが強い人は控えてください。

家族に虐待されて生きていたという経験があると、自分の気持ちを無視してしまいがちだ。

自分の体調不良に気が付かない。
自分の怒りの感情に気が付かない。
自分の哀しみの感情に気が付かない。

だから、ちぐはぐな行動をして周りから誤解されてしまう。
それを繰り返すと孤独と孤立を生むことになる。

体調不良の一番下にある物は「悲しみ」だ。

不当に扱われた事に対する哀しみ。
辱しめを受けた事への怒り。

これらを発散することなく、抑え混んでいると身体に不調が出て来る。
普通、健康に育っているであろう子供は頭痛や過度の便秘下痢や不眠にはならない。

周りはそれに気づくべきだった。

そしてあまりにも酷い虐待に遭うと一瞬にして壊れてしまう事もあるだろう。一時的に目が見えなくなったり、言葉を話せなくなったり、耳も聞こえなくなったりすることもあるだろう。記憶をなくして乖離したりと。

それぐらい、酷い経験だったのだ。

複雑性PTSDと診断された人の多くが家族から虐待を受けている。

ここで整理することは、家族が我が子を虐待することは犯罪だということ。
それが昔のことであったとしても、それは犯罪だということ。

私達は法治国家で暮らしているということ。

刑事罰てき時効が切れたとしても、虐待は犯罪だということ。

それらを無視したままで、無理やり相手を許そうとしないほうが良い。
巷に溢れている「癒し」「許し」関連の本は要注意。

私も一時期スピリチュアルカウンセラーの動画を見て勘違いしてしまった事があるけれども、カウンセリングはしっかりとしたカウンセラーから受けるべきだと思う。

被虐待児で救いが必要な人ほど、外からの情報に振り回されないように気を付けなくてはいけない。

そこを分けて置いた方がいい。

それから親や他人に虐待された人がそのトラウマのせいで、自分以外の人を性的暴行したり、暴力をふるったり、殺したりした場合も

それは犯罪だということ。

それを訴えてもいいということ。

同情と犯罪は別物です。(罪の重さの話ではない)

刑事裁判が時効なら民事や家事調停があるということ。

人権団体や支援団体に話をしていって、市民の相談の場でもいいから
その事実は「犯罪」であったことをそこでも認めて貰おう。

最初は聞く方も事の残虐性に「思考停止」してしまい、言葉を失うことが多く、なかなか被害者側が納得するような言葉を得ることは出来ず、裏腹なことを言う人がいたとしても、諦めないこと。

家族間ならばなおの事悪質性が高いということを自分でも認識して、周りにも納得してもらう事。

何故ならば、家族を虐待する人間は

「家族の中の事だから外には漏れないだろうという悪質で歪み切った思考を潜在的に持っていて行動(虐待)している」からだ。


「家の中の閉鎖的な環境で、他者が入って来ることが難しい環境では、無力な子供は一人では生きてはいけないから、何をしてもいいと潜在的に自分を守れる(責任にとわれまい)と理解しているから虐待している」からだ。

逆を返せば「他者の目の前ではそれは出来なかった事だから」だ。

家族だから、家の中ならば、「やっても大丈夫」
家族だから、家の中ならば、「やっても誰からも責められないだろう」
家族だから、家の中ならば、「やっても誰にも漏れないだろう」と実は知っているからだ。

監視カメラのある場所で家族を虐待出来ますか?

そういうことです。

彼らは監視カメラがある所では虐待はしないけれど
監視カメラがない他人の目がない所では虐待は出来るときちんと認識しているのだ。

彼らはそれが悪い事だと分かっている。
しっかりと認識して虐待している。

大変残念だけれども、無意識にではなく「意識的に分かっていたので責任逃れが出来るだろうと家族を虐待した」のだ。

なので、そんな家族をかばったり、同情する必要はない。
それをするから自分を癒すことが先延ばしになって何度も何度も自分で自分を苦しめ、傷つけ、自ら幸せから遠ざかってしまう。

時間が経てば経つほど、被害者側が人に言えないという罪悪感を抱いてしまう。

先に行くためにはそれは犯罪は犯罪だと認識してそれを理解してくれる仲間を増やして行くべきだ。
被害者が自分を虐待した加害者である家族に対して怒りを持ち続ける事に罪悪感を抱き続けていては回復が遠ざかってしまう。

その怒り、哀しみの感情は「正常な反応です」
人間に最初から備わっている正常な反応です。

例えそれが何十年も前のことであったとしても
突然沸き上がってくる「自分を虐待した家族への「怒り」「悲しみ」の感情は「正常な反応です」

君は悪くない。
君は悪くない。
君は悪くない。

映画「グッドウィルハンティング」で、心理カウンセラー役のロビンウィリアムスが家族から虐待された過去をもつ青年(マットデイモン)に劇中に言う言葉。

君は悪くない。
君は悪くない。
君は悪くない。

(是非、観て欲しい映画です)

とにかく

自分を虐待した家族を、責任の追及なしに同情したままでの

「癒された気分」
「許した気分」

になるのはとても難しいと思う。
記憶を全て消すことは難しく、年老いて時間が増えるとまた人の思考はどうなるだろう?何を思い出す?

双極性障害の完治が難しいように、複雑性PTSDの治療も難しく一生続く。
だから、時折立ち止まり

自分の体調はどうか?
ここ最近の気分はどうか?

3か月後、半年後、どうなっていたいか?
少しでも良くなっていたいか?を考えつつ

自分の気持ちをノートに書いて、少しでも誰かに話したくなったら話すこと。今は話たくないならそんな自分を許すこと。

セルフハグをして、身体を自分でさすって

偉いよ、今日も生きていて偉いね~と褒めてあげて自分を励ます。
そしてまずは自分の機嫌を自分で取る。
人に取って貰おうとすると歪んだ相互依存になってしまうから。

まだ生きていこう。
食べ物を食べて美味しいと思えるように。
太陽の陽射しを浴びて、気持ちがいいと思えるように。

大丈夫、急がなければ辿りつけるはずだから。


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