ペットボトルの話


とある駅前の喫茶店。
人は少ない。
二人の男女が窓際席でアイスコーヒーをストローで啜っている。
理由は簡単で、ストローで飲む分にはマスクを外さなくていいからだ。

「あのさ」
「何」
「さっき、ここ来る前に駅でトイレ寄ったらさ」
「うん」
「そこ和式なんだけど」
「和式……あー分かった。改札前の。女子便所もなの?」
鮫肌の男はストローを咥えてアイスコーヒーを啜る。彼はいつもこのスタイルだ。
「女子便所はそうだよ。つか、男便も」
「ガチ。三日くらい出てねぇ時使うし」
「妙なリアル話やめてよ。アタシカレー頼んだのに」
もち肌の女はメニューを卓上ラックに差し込みながら眉をひそめた。
「で?便所がどうした」
「水の入ったペットボトルが二本立ってたの」
「水の入ったペットボトル」
とは、と男は問いかける。
「片方二リットル、その右隣にもうちょいスリムなボトルがもう一本。右のスリムは少し曇ってたから中身が分からなかったけど、左の二リットルはほぼ満タンだった」
「中身分かんねーのに水と断定」
とは、と男は問いかける。
「ラベル剥がされてて、なおかつ透明だったからそうかなって」
「あーね。今流行りのラベルレスタイプかね」
「いや、普通にラベル剥がされてるタイプ」
「そこは断定か」
「断定しちゃえる」
「確認したの?」
「見たらわかるやつ」
「で、それがどしたの」
「アレ、何だったんだろう」
「水……じゃね?」
「水は水だろうけど、トイレのペダル?前に二本並べるとか不自然の極みじゃない?」
「ほぼ真正面に置かれてたのか。しかも便所の床に直置き?」
「そだね。しかも微妙にサイズが違う二本」
「中身は透明な液体」
「匂いもしなかったし、そもそも蓋開いてなかったし」
「片方は内側が曇ってた。で、それをお前はどう思った?」
それなんだけどと、彼女はアイスコーヒーを啜る。
「一番、単なる水。二番、誰かが拾って飲む事を想定した毒物入りの水。三番、水だけど飲む用途以外」
「三番なら、流す時に詰まった時用・非常時想定の水ボトルだな。非常に平和」
「あーね。あそこ古いしありそう。それと、これは物騒なんだけど」
「物騒な四番。四、なだけに」
そんな物騒じゃ無いかもだけど、と彼女は前置きし。

「四番、水に見えるけど蓋を開けたら毒ガス」

あー、と鮫肌の彼は薄く口を開く。

「その発想に至ったか」
「至っちゃった。つか、昔テレビで見た事件思い出してちょっとビクッてなって。何でこんなとこにこんなもの置いておくのって。結果死んでもないし匂いもしなかったし、そもそも蓋開けてないしで、全然なんともないんだけどね。怯え損な気分になって、ちょっとだけムカツイちゃったのよ」
口惜しそうに、彼女はアイスコーヒーを啜りきった。

「でもさ、多分そのくらいの危機管理能力でこのご時世は渡り歩いた方がいいんじゃね」
「日本人は危機感なさすぎだって、時々海外をよく知るセレブ気取った奴がツイとかで何か言ってるね」
「しらねーよって話ではある。だけどさ、俺はこう推理しちゃうね」
「どういう」
男はストローから口を外すと、気怠げな上目遣いで彼女を見る。

「五番、予行演習」
「予行演習」
「そそ。例えば、それが一回目ならお前みたく警戒するだろ。見慣れないものが置いてあるんだから」
「そだね」
「だけどさ、定期にしろ不定期にしろ、何回も置かれて、しかも何度も『実害なし』の実績が積まれたとする。そうしたら、探偵ナイトスクープあたりが取材に来るかも知れない。誰が、何のために置いて行ったペットボトルなのか、とか」
「うんうん。そしたらスッキリするかも」
「そこでオチがつく話ならな。俺が話すのは、『取材してる間は誰も置きに来ませんでした。これはやはり愉快犯の仕業?』でスッキリしないオチがついた後の分岐な」
「分岐って、それアンタの好きなノベルゲーじゃん」
察しがいいな、と男は彼女を指差す。

「取材から数ヶ月、また置かれるようになったペットボトル。清掃員は、なんの気無しにその蓋を開けて排水溝から捨てようとする。すると白い煙が沸き立ち、彼だか彼女は第一の犠牲者となり、排水溝から周囲一帯の下水を伝って死の毒ガスが辺り一面に!!鳴り止まないサイレン、我先にと殺到するマスコミに自制を促すも保警察の包囲網を抜け出し駆け出したカメラマンの一人が無人と化した駅前で音もなく膝から崩れ落ち……」

「大惨事じゃん」
薄めたセピア色の筋を伝わせる氷を突きながら女がポカンとしていると、男は冷めた目で「冗談」と言い切る。

「つか、このシナリオありだと思う?」
「ない」
「だろ?現実味なさすぎ。飲ませるならともかく、便所の床に置いてる時点で飲ませる想定じゃ無いだろそれ。とすると揮発するタイプの毒物混入も考えられるが、誰か開ける前にペットボトル自体が溶けそう。俺文系だからよく知らんけど」
「そっか」

「安心したか?」
「した」

ならばよし、と男もアイスコーヒーを一息に啜りきった。

「お前想像力がたくましすぎ。もうちょいフンワカ生きてないとキツくね」
「いやー、ただ単にどうでもいいことが気になっちゃうだけだって。でもやっぱわかってるね」
「まあな。付き合い長いし」
メシ遅いな、と男は昼食にチョイスしたナポリタンのメニュー写真を視線でなぞる。
その隣に据え置かれたテレビでは、昼前の地方ニュースが店内BGMの代わりに流れている。

『……速報です。今日深夜二時過ぎ、……駅構内の待合室で倒れ緊急搬送された二十代女性が搬送先の病院で亡くなった事件で、警察は駅構内の女子トイレから違法薬物の入ったペットボトル二本を押収しました。これは二種類の化学薬品を混ぜて発生する気体を吸引するという新たな脱法ドラッグとして警察が取り締まりに着手しているもので、分量を変える事で見られる幻覚や高揚感の違いを謳い文句にしています。いずれも見かけは透明で水と見分けがつかないことから……』

「ん?今ここの駅がどうとか言った?」
男がテレビを指差すと彼女も気怠げに首を後ろに回す。
「え?聞こえなかったけど。……何て?」
「いや、俺もナポリタンに夢中で聞こえてなかったわ」
「ダメじゃーん」

アイスコーヒーおかわりしよっかな、と彼女が何気なく呟くと、じゃ俺も、と男が手を挙げ「すんませーん」と店員を呼んだ。

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