見出し画像

レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㊼

「今回ご依頼いただいたことのすべてにお応えすることは出来ませんでしたが、納得していただけましたか?」
「はい。私の考えていた最も良い結果ではありませんでしたが、それでも上々の結果なのでしょう。」
「そうですね、おっしゃる通り、あなたの望む結果ではないことは認めます。成功報酬のすべてをいただくわけにはいきませんから、ご納得いただける金額で結構です。」
 ユーグの言葉に、オリバーは少し考えて小切手を書いた。渡された小切手の額を見て、ユーグはオリバーの顔を見た。小切手には、依頼が成功した時とほぼ満額の金額が書き込まれている。
「よろしいのですか?」
「はい。その代わり、あなたに別の依頼を受けていただきたいのです。」
「どういった内容でしょうか。」
「サマーセット侯爵夫人をご存じでしょうか?先日行われたアイヴァー伯爵家での夜会にいらっしゃった方です。あなたもその夜会にいらっしゃったでしょう?」
 そう言って、オリバーは真剣な表情でユーグを見つめた。まるで、しらを切るようなことは許さない、といった目をしている。どうやら、先日行われた夜会でユーグが来ていたことを知っていたようだ。あのアイヴァー伯爵夫人の機嫌を取りながら他の夫人を物色していたのかと思うと、別の意味ですごい男だと思ってしまった。
「確かにその夜会には参加しましたが、サマーセット侯爵夫人がどなたなのかは知りませんね。少なくとも、挨拶はした覚えがありません。」
 ユーグが溜息をかみ殺して答えると、オリバーはにやりと笑った。
「でも、あなたはアイヴァー伯爵と懇意のようだ。アイヴァー伯爵は、サマーセット侯爵と親しいようではありませんか。」
「へえ、そのような話は初めて聞きました。」
 オリバーは舌打ちしそうな顔で、紙に何かを書きつけてユーグの前に置いた。それは小切手で、先ほどの報酬のニ倍の金額が書き込まれている。
「サマーセット侯爵夫人を紹介していただきたい。紹介していただくだけで構いません。そうしたら、こちらの小切手を差し上げます。」
「念のためお聞きしますが、サマーセット侯爵夫人に何をなさるおつもりですか?」
「それはあなたには関係ないでしょう?」
 ユーグは、表情を変えることなく「お断りします」と即座に答えた。
「何故ですか?先ほどの倍の金額ですよ。」
 オリバーが焦ったように尋ねた。まるで、断られるとは思ってもみなかったというような様子だ。
「私は、貴族ではないただの男です。伯爵家の方と言葉を交わすだけでも恐れ多いのに、侯爵家の、それもサマーセット侯爵家の方を紹介するなど、とんでもない話です。いいですか、オリバーさん。先ほどの報酬の対価として、為になることをお教えしましょう。貴族とは、『誇り』が何よりも大事なのです。そのことをお忘れにならないでください。」
「そんなこと、私は知っている!」
「あなたのお考えになる『誇り』と、貴族の考える『誇り』が違うようでしたからお教えしたのです。よろしいでしょうか、オリバーさん。これは最後の通告です。サマーセット侯爵夫人になにをなさるおつもりかは存じ上げませんが、あの方に近づくのは止めておいたほうが良いでしょう。」
「別に、危害を加えるつもりなんてない!ただ、あの方に私の思いを伝えたいだけだ!」
 ユーグは呆れたようにオリバーを見た。先日まで正体の分からない女を運命だと散々騒いでおいて、すぐに別の女のことを考えている。勝手に思いを寄せられているサマーセット侯爵夫人が気の毒になってくる。
「あれだけ運命の女性を見つけたと言っていたのに、もう別の女性を好きになったのですか?」
「違う!確かに、レディ・ジョーカーのことは愛していた!サマーセット侯爵夫人のことは愛しているとか、そういうことではない。ただ、あの気の毒な美しい女神のような方をお救いしたいだけなんだ。」
 それを愛しているというのですよ、と言いたい気持ちをこらえて、ユーグは溜息をついた。
「止めておいた方が良いとお伝えしましたよ。今まで順調にいっていた仕事も、信頼も、すべて失うことになりますから。それでは失礼します。私はすぐにパリへ帰りますので、もう会うことはないでしょう。」
 そう言ってユーグが部屋を出ようとすると、うしろから「すべてを失っても、彼女に伝えたいんだ!」という叫び声が聞こえた。ユーグは聞かなかったふりをして、オリバーの店を後にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?