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最後に #人生のプレイリスト6

音楽とともに人生を振り返っているシリーズ7回目です。

noteに書いているので、見られることを前提にした文章になりますが、プレイリストを作成する過程や、そこから感じたことを言葉にすることで整理するのは自分のためなので、見られていなくてもいいので、最後まで書くことにしていました。


プレイリストを作成中に、習い事としての、イラストの学校に行きだしています。
まだ数回なので、成果物的な意味でのお話はできないのですが。
(そもそも、体や心を休める時間を学校に充てているので、正直、今、たぶん、しんどい。どれだけがんばれるのか)

通いで学ぶかどうかは、結構悩みました。
ただ、12~20歳編のnoteで書きましたが、その「場」で全身で受け取る感覚を信じていることや、学校見学の際に、教室の空間がわりとあたたかいようなプラスな感じが持て、通うイメージができたことから、決めました。

通い出して、絵に関しては、これまで一人でやってきたことは、見えないところで生きている、と身をもって知ることができました。
他にも、上位者が成果物を見ると、なにをしてきたかわかる。ことがある。
次にどうしたらもっと良くなるかは、アドバイスを一言でももらえると、とても早い。
という気づきがあります。
その一方で、「今さら」、「どうせ」、「所詮」という呪いは、根が深い。

仕事、社会との関わり、については、考えさせられることが多いです。
結局、どこに居ようが同じ、なんじゃないかと思ったりもします。
人がいて、人と接するしか、ない。なにをしようと。

新しい「場」に行くと、新参者になります。
教わる立場になります。

教えること、教わること、についての不満感は、おそらくコンプレックスからきていて。
私は、出身の学科と、職種が、全く違います。
なので、社会に出てからは、持っていない引き出しを自力で作ったり、荒れ地を切り拓いて、ゼロからレンガを積んできたつもりでいます。
でもその一人作業には限界がある。
教わってないのに知るわけないだろ、と、何度も憤っています。
とにかく住む場所が必要だったから、取り急ぎ開拓した土地だって、肥沃じゃなかったかもしれない。

やるだけやったけれども、間違ったんだろうなと思います。
そして、でも、今さら。

もし、どこか違う場所へ行っても、出身違うし、教わってない、先に言えよ、と憤るなら、今と変わらないようにも思う。
教える側からの、ワンクッションの確認がない環境なんてザラにある。


少し前に夢を見ました。
引っ越すから、持って行くものを選ぶ夢。全部は持っていけないな、という。
昔にも、火事の自宅から、必要なものを選んで出て行く夢を見たことがあります。その後、転職しました。

ここ数年、転機にさしかかっているには違いないのだと思います。

ちょうど昨日、読んだnoteに、しっくりくるお話がありました。有料なのですが。イメージが持てるかどうかや、「失う」タイミングについて。

そして、人生のプレイリストに出てこなかったこと、「他人」。

これまで出会ってきた人、出来事に、感謝できているかなぁ。
(もちろん、部分部分で、あるのですが)


プレイリストの終わりに、新しい世界を感じさせる好きな曲を置いておこうと思います。
新しい世界は、身を置く環境のことなのか、心模様の変化で世界の見え方が変わることなのか。

・群青 神山羊


最後に。
人生のプレイリストについて記事を書いてくださったけるぼんさん、ありがとうございました。
「音楽」から記憶や気持ちをつなげていくという視点が新鮮で、宝探しをするようなわくわく感を持って進めることができました。
素敵な機会を提供いただき、ありがとうございました。