祖父は大腸癌だ。
 僕が中学生の時には仕事を辞めてずっと自宅にいたと思う。毎日、学校の送り迎えを頼んでいた記憶がある。いくらなんでも登校時間に間に合わないだろう、という時間に目覚めても、嫌な顔ひとつせずに祖父が学校へ送ってくれた。中学の無遅刻無欠席は、実質祖父に与えられた栄誉だ。祖父の口癖は「時間は待ってくれないよ」で、死期が近い今はそれをひしひしと感じている。
 父親が早くに死んでいるため、祖父母は僕の幼い頃から一緒に住んでくれていた。僕はおじいちゃん子だと思う。祖父にとって、初めての女の子の孫だったから大層可愛がられた。祖父母の部屋の焼酎の空箱には、昔に祖父とかくれんぼをした時の「あかりここだよ」という幼い筆跡が残っている。

 このコ口ナ禍で実家がある秋田へもなかなか帰れず、気持ちが落ちているようだ。最近は「もうすぐ死ぬ」が口癖になっている。
 誰とも会えない日々はうんざりなんだ。でも1つよかった事と言えば、祖父と居るためにこうして東京から帰って来れたことだ。


 ひとつ下にいとこがいる。春から埼玉の短大生だ。先月、高熱が続き地元に戻って来ていた。EBウイルスというものに罹っていたよう。キスや回し飲みが原因で伝染る病気で、なんとも大学生らしい生活をしているな、と思った。
 先週、いとこ一家が祖父の顔を見に来た。みんなが帰った後、祖父は泣いていたらしい。自身の癌の具合が芳しくないこと、いとこの病気が心配だったこと、いろいろな感情が籠っていた涙だったと思う。
 そこで僕はいとこに、
『じいさんが「もう死ぬまで会えないかもしれない」って泣いてるよ。時間見てできるだけ会いに来てね』
とLINEをした。すると、
『日曜日に埼玉に帰るからそれまでに行くね』
と返信が来た。
 僕としては、しばらく地元にいて欲しいという意味で連絡したのだが、上手く伝わらなかったようだ。


 僕はこの春に東京の賃貸を引き払って地元に戻った。コ口ナの状況が一向に回復しないことと、祖父の癌の具合が良くないことが理由だ。
 これは僕が若いからなのか、地元よりも東京にいるほうがずっと楽しい。母がいないから思い切り遊べるし、友達もたくさんできた。しかし祖父との思い出のためなら、1年や2年くらい地元に戻ってもいいだろう、という決断だ。
 もちろん、いとこが地元に留まることを無理強いはしない。きちんと単位が取れるか不安だということも理解出来る。しかし、『祖父が死んでも絶対に僕より悲しまないでくれ』と強く思った。
 大変身勝手な考えではあるが、これが僕の正直な答えだ。好きなものや好きなことへ懸命に尽くさなかった人間が『後悔』などと宣うのは、非常に気分が悪い。
 引き留めた理由は、それともう1つ、1ヶ月もの間高熱で寝たきりだった人間が、また元のようにひとり暮らしができるのか心配に思ったことだ。

 いとこが決めたことなら応援せねばならない。出身の幼稚園で働きたいという長年の夢も知っている。けれども、今回ばかりは素直にはなれなかった。



 僕はひとりっ子であるから、家族を失う悲しみと、責任が大きい。実家のこと、家族のこと、全て1人で背負わなければならない。まだ未来の話であるのに考えすぎだ、とよく他人に言われる。しかし、後悔のないように生きたいと強く思うのだ。後悔という感情は一切の無駄であると。過去を悔やんでも、何も変わらない。

 この先、地元にいても東京へ戻っても後悔してしまう気がする。ママもじじもばばも好きだし、ずっと一緒にいたいという気持ち。しかし、地元ではできないことや、東京でやりたいことがまだまだある。
 人生は1度きりだから、自分が主役だと思う。それを優先してしまうと、大好きな家族をないがしろにしてしまうかもしれない。結局タラレバの話なのだ。その時が来たら考えよう、時が来て後悔したら嫌だな、の繰り返しである。もう、思考ができなくなってしまいました。

 東京でやりたいことって何だったっけ?と最近よく思う。忘れてしまったのだ。上京した時の熱情も気合いも、何もかも。だから、再度地元を出ることを余計に不安に思う。しかし、地元でうだうだと余生を過ごすのもとても不安だ。きっと結婚などもできないであろう。抜群に高い自己肯定感に、ついてこられるような男性が地元に残っているとは考えにくい。ずっと独り身であるのも、案外悪くは無いかもな、と最近はよく思う。結婚する奴は、1人で生きられる自信がないのだ。


 進んでも絶望しか見えなくとも、生きなければならない。生まれた業が深すぎる。きっと誰だって、望んで生まれたはずではないのだ。大丈夫。全然大丈夫じゃない。だから僕もテキトーに子供をこさえて、業を擦り付けるのだ。それがいちばんいい。人類がやってきたことだから。誰か早く終わりにして。

 あと、僕と祖父は血が繋がっていない。どうでもいい。

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