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彼岸

春のお彼岸に

なりましたね

お彼岸には

ご存知のように

春のお彼岸、秋のお彼岸

があります


お彼岸の中日に

春分の日

秋分の日があって

国民みんなで先祖を敬う

という意味から

国民の祝日になり

お墓参りやご供養を

される方も多いですね


お彼岸は元々は

この世(此岸)から

あの世(彼岸)へ行く為の

六波羅蜜の修行を行う

仏教の教えでした


日本では大昔から

自然崇拝や祖先を敬う

信仰がありましたので


時代と共にいつの間にか

故人を偲び、敬い

故人があの世へと

旅立ち易いよう

(春分の日、秋分の日近くが

夜と昼の長さが同じくらい)

1番この世とあの世が

近くなる、という考えから


故人をあの世へ安心して

旅立たせるため


故人の好きな物や季節の花

果物などをお供えする

日本独特の風習となり

そして

彼岸団子などと共に

春は牡丹の花  になぞらえ

ぼた餅と称してお供えし

秋は萩の花になぞらえ

お萩と称してお供えし

ご供養するようになったのです


仏教では「彼岸会」が行われ

六波羅蜜の修行をします


六波羅蜜とは

極楽浄土へ行く為の修行です

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧

の六つ教えを守る者は

極楽浄土へ行けるという教えです


仏教は私達庶民には難しすぎる

と思ってしまいます

どれも常人には、とても

出来そうにもない行いです

それは

布施  見返りを求めず人の為に善い行いをする

持戒  自らを戒めルールを守ること

忍辱  苦しみや困難を耐えること

精進  何事も最善を尽くし不断な努力をすること

禅定  何事もひるむことなく静慮すること

智慧  真実を見抜く力を身につけること


このような行いを身につけて

生活出来るのは

毎日をお寺で暮らし

お経をあげて

皆で揃って修行の出来る

限られた高僧の方達ばかり

ではないのでしょうか?


例えばキリストなら

悔い改めれば

神様は全てを許して下さる

と仰っているのですから

安心出来ます


私達の心に安心立命を

もたらせる事がない

仏教なのでは?

この修行の意味は、一体?

失敗ばかりして生きる私達

何度までなら許してもらえる?

そもそも、やり直しは

許されているのでしょうか?


親鸞聖人は

この点でも仏教に疑問を

お感じになったのではないか?

などと私のような

未熟者は思ってしまいます


宗教である限り

一切の衆生をあまねく広い心で

救って頂けないのでしょうか?


私達人間の殆どが

迷える子羊だと

お思いになりませんか?


親鸞聖人は

幸せになっていけない人など

一人もいないと仰っています

なので私は親鸞聖人が

大好きです


私だって

幸せになって良いのだから

胸を張って生きて行けます
























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