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お釈迦様と蓮の花

私は小さい頃から

何故、お釈迦様は 

蓮の台座の上に

乗っていらしたり

蓮の花を手に持つ

如来様なども

いらっしゃるのか? 


兎に角お寺では 

何でもかんでも

蓮の花なのは

何故なのだろうと

不思議に思っていました


だって綺麗な花は

沢山あるのに


正直、上野公園の不忍池にも 

蓮の花は沢山ありすぎて

それは気味の悪いくらいに

葉っぱも大きく立派で

それが枯れているとホント

不気味な感じだなあ

と思うくらいで 

あまり好きでは なかったのです


ですが、何故

仏教では蓮の花なのか

前から気になっていた

親鸞について調べる事で

わかりました


それは阿弥陀経にあります

仏教では

極楽(浄土)には

大きな車輪のような

蓮の花が咲いています


蓮の花はお釈迦様の

蓮華の五徳という

有難い教えを

表しているのです  


1=汚泥不染の如く

2=一茎一花の如く 

3=花果同時の如く

 4=一花多果の如く

5=中虚外直の如く


この正しい信心(正信偈)

を得た人は

極楽へ生まれるのです 


この娑婆(この世)は

常に苦しみ多く

つい魂を汚すような 

生き方を してしまいがちですが

どんなに酷い泥の中に生まれ

過酷な生活を

しなくては ならなくとも

蓮の花のように真っ直ぐに

人として 

強く清く生きて行く人は

必ずや極楽浄土に生まれて

幸せになれるという教えです


蓮の花がそうであるように

努力の先には大きな花も咲く

そして同時に

沢山の果実をもつけて

世の中の人々を

歓喜せしめるのです 


世の中の役に立ち

人々を喜ばせし

真の清い魂の人は

極楽浄土に生まれ変わり

真実幸せになれる    

 

私達は

極楽浄土を夢みますが

そこへ行く魂の修行は

厳しいのです

ついつい泥の沼に嵌り込み  

もがいても、もがいても

抜け出せなくなって

愚かにも 、今生でも また 

極楽浄土には行くことが 

出来なくなるのですね


魂は分かっていても

現実のあまりの苦しさに

負けてしまうのですね

せめて、心だけでも

精進したいものですが 

弱い私には

それはなかなかに

困難すぎる道です







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