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彼女の命日に

今日はとても大切な日なので、思うことをつらつらと書いてみようと思う。

人にとって、働くってなんだろう。

働く原動力ってなんだろう。

もっといえば、生きてるってなんだろう。

家族のため、自分のため、名誉のため、お金のため、誰かのため。

この多様性の変化に富んだ時代で、働き方もこれからどんどん変わっている。

色んな考えがあって、色んな価値観の中で、それぞれ働いているんだろう。

働くことが楽しい人もいるだろうし、苦痛な人もいるだろう。

キレイゴトでは生きていけないこともいっぱいあるだろう。

そんなの分かっている。分かっているけれど、

できることなら、ひとりひとりが心地よく働いて満ちていたいと

どうしても思ってしまうんだ。

私の中で、働くってことを考える時に、頭に浮かんでくる20代の記憶がある。

大学時代にネパールで訪れた、絨毯の手織り工場の記憶。

工場、というには規模はとても小さかったかもしれない。

撮影も許されず、私の記憶の中だけにある、内部の風景。

窓ひとつない地下の部屋に、大きな作りかけの絨毯と、たくさんの従業員。

細かい作業なはずなのに、薄明かりの中、彼らは無言で無表情で、朝から晩まで働いていた。

朝食前から働き始め、朝ご飯の支度・昼食の支度には都度家に帰るけれど、それ以外はひたすら夜まで織り続ける。

もちろん、ネパールで売られる代物ではない。彼らの届かない遠い国へ送られて、高値で取引される絨毯を、彼らは安い賃金で織り続けている。

例えば私たちが、安いねと言って喜んで買う商品の裏側。

私たちが、買っては捨ててを繰り返す消費の裏にある暮らし。

を少しだけ、垣間見た気がした。

更にその工場で、こんなことよく聞いたものだ、と今になっても思うけれど、

一緒に行った友人が、こんなことを聞いた。

「(こんな働き方をしていて)自殺したいと思ったことはないんですか?」

(そう質問してしまうほどの労働環境だったってことだけど、それにしても)

彼らの中のひとりが言った。

「思ったことはない。仕事があるだけでもありがたい」

彼らに選択肢はほとんどない。生きるために働く。生き延びるために働く。

そしてそんな話を聞いたおよそ4年後。

私の職場の後輩が自ら命を絶った。

その日私は、インフルエンザで熱を出して休みをとって家で寝ていた。

当時付き合っていた、同じ職場の彼から「落ち着いて聞いて欲しい」と電話がかかってきた時の情景を、今でも鮮明に覚えている。

あの時の熱のだるさも、パジャマが擦れて痛いインフルエンザ特有の症状も、時が止まったかのように、今でも思い出せる。

9年前の今日。

実際、遺書も残っていなかったし、直接の原因になる悩みを聞いた人は誰もいなかった。ご両親は、理由が知りたいと、何度も何度も職場に問い合わせていた。

生きていたら会うはずだった約束も、職場の先輩と交わしていたし、きっと衝動的なものだったんだろうとは思う。思うだけで、全て想像の中。

だけど、繁忙期に彼女がずっとしんどそうな表情で働いていたことを、私は何度か食堂ですれ違って知っていた。彼女の部署で、日常的に罵声が飛ぶことは有名だった。

繁忙期が終わって社員旅行に行って帰ってきて、寝坊して仕事を休んで、その日の夜、社員旅行に持って行ったスーツケースの荷ほどきをしないまま、

アパートで彼女は自ら死ぬことを選んだ。
たったひとりで。

電話で彼女の訃報を聞いた私は、そのままインフルエンザの熱でうなされながらベットに倒れこんで、そして彼女の夢を見た。

苦しそうに謝っていた。謝らなくていいのに。

寝坊したから?罵声が辛かったから?疲れたから?何もかも嫌になったから?

それとももっと別の理由があったの?

死んでしまっては、聞くことも働くことも取り戻すこともできない。

とにかく優しかった彼女の、抱えきれなかった悩みを

今でも、知りたい。

そして、彼女が死んだ2ヶ月後、あの大きな地震が起きて、津波でたくさんの人が死に、たくさんの人が仕事も暮らしも失った。

彼女が死んだ時も、津波が起こって大変な時も、私は仕事を休めなかったし、何の力にもなれなかった。

自分の無力さを思い知った。

その年、それをきっかけに色んなことが身の回りで起こったり考えたりして、

わたしは今の職を目指すことにしたんだ。

働くって、生きるって、なんだろう。と思う時に、

こうやってネパールの工場と彼女のことを思い出す。

思い出して思うことは都度違うけれど、今日の私は…

私って贅沢だな。と思う。

選択ができる。生きている。やりたいことをやっている。

正当な評価で稼いだお給料で、好きなものを買える。お腹いっぱい食べられる。

今日も目が覚めた。今日も無事に眠れる。

笑った、泣いた、怒った。

夫が今日も元気で帰ってきた。美味しいご飯が食べられた。

大人ニキビも、ちょっとした傷も、なんてことない。

贅沢だからこそ、働けるうちは、生きるうちは

ちゃんと真面目で正直でいたいと思う。

ちょうど、3月には今の職を失うから、本当に良いきっかけをもらった。

また来年、あなたのことを思い出して、そしてまた

どんなことを思うか、どうやって働いているか、綴ろうと思う。

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