愛せない無駄ばかり

私は基本的に無駄なものが好きだ。
何故か捨てられないお菓子の包み紙とか、絶対に必要ないのに回してしまったガチャガチャとか、好きな人と3日間続くスタンプだけのやりとりとか。役に立たないものや意味のないものって、実はとっても大切だと思う。
でも私の生活には、どう頑張っても愛せない無駄がある。

私は強迫性障害を持っている。診断を受けたわけではないが、現代はGoogleというありがたい大先生がいるので1年ほど前に知ることができた。いつからかはっきりとは分からないが、自分の記憶を遡ると多分もう10年くらいの付き合いになる。それだけ長いと、まあ上手く付き合えている期間もあれば、全く上手く付き合えずにひたすらイライラしてしまう期間もある。ちなみに今は後者だ。もう一切の縁を切って絶交したいが、友達でも恋人でもないのでそういうわけにはいかない。症状が酷くなった原因は恐らくコロナだ。本当に憎い。こういう話って、友人や家族にすると心配させてしまって深刻な雰囲気になったり、Twitterの140字では「病んでるの?」と思われたりしそうなので、noteというのはありがたい。私はただ、苦手な人の愚痴を話すように自分自身の気持ちを吐き出したいだけなのだ。あわよくば、同じ悩みを持つ人が共感してくれたら嬉しい。そんな程度。
強迫性障害と一言で言っても、症状は様々だ。確認行為が多い人、加害恐怖が大き人などがいる。私が特に酷いのは汚染恐怖だ。どれだけ手や食器を洗っても、綺麗になった気がしない。そこまで洗浄しなくても、綺麗になっていることなんて分かっているつもりなのだけれど、どうしても納得がいかない。もはや綺麗にするというより、自分が納得するために洗い続けている。汚い気がするという概念を必死で洗い流している。そうなると、洗浄という行為において人の3倍〜5倍くらいの時間がかかる。夕方トイレに入って手を洗って出てきたら、外は真っ暗なんてこともあった。深夜12時にお風呂に入ったはずなのに、気づいたら2時を回っていることも。ある人には、殺人者の手洗いだと言われた。もちろん人を刺したことなんてない。疲れてしまうし、時間も水道代もシンプルに無駄だ。でも自分の意思だけでどうにかなる問題ではない。

朝の準備だって大変だ。そもそもお風呂のせいで寝る時間も遅いので、早起きがきつい。だから時間が足りない。手を洗っていたら、もう家を出る時間になってしまう。そうなると、結構な頻度でメイクを諦める。好きな人ができたらどうしてくれるんだ。

そんな面倒で厄介な私でも、最近ちょっと嬉しいことがあった。大好きな役者さんが、極度の潔癖症持ちの青年を演じるのだ。公式ホームページ上に公開された劇中写真で、真っ赤になった手を眺める推しの姿が目に焼き付いて離れない。
とは言っても、症状には個人差があるので、推しが演じる彼と私の境遇が全く同じなわけではない。
それでも私は嬉しかったのだ。推しが私も持っている生きづらさを体現してくれることが。嬉しくて楽しみで、その生きづらさすら愛おしくなりそうで涙が出てくる。推しって偉大だ。ああ、結局推しの話になってしまった。私、どんな話も「推しってすごい」に着地させる才能があるかもしれない。まあ、そんな才能があったところで特に役には立たない……と書きかけたが、世界が少しだけ平和になるかもね。

明日は無駄を愛したいから、可愛いパッケージのお菓子でも買って帰ろうか。どんな話でも「推しってすごい」に着地させて、結局解決してないねって笑おうか。

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