日々の臨床的営みの中で、自分自身のスキルも経験も揺さぶられることがある。それこそ臨床活動をしていく上での醍醐味でもあるだろう。 そういうマイルストーンのような出来事の中で、 私たちはより肉付けされていく。 そのことを自分なりに消化し、咀嚼し、シェアし、共感されることによって。 私自身にも、揺さぶられた体験はもちろんある。 「先生は、どうなんですか?」「やっている意味があるんですか?」「よくなるんですか?」と突き付けられることは臨床家にとって重みのある出来事だ。 で
どんなに器用な人でも 誰かとの関係に、頭を悩ませることがあるだろう 非生産的ループに陥ることも もしくは陥ってることに気づかないくらいに自分を見失うこともあるかもしれない。 あるいはモヤモヤとした漠然とした違和感を持ち続けるかもしれない。 かくいう私は器用ではないので、たまにそれに陥る 前回の「旅は続く」の投稿と同じ時にaicoから出た、過去に私が言ったという発言に我に返った その人の存在を自分の中に置いておくことができたら ことはだいぶ楽になるのかもしれない
久々に一泊だけど小旅行に行った。 旅の効果は絶大で日常から距離をおけるだけでなく、日常に置いてきた出来事さえもリフレッシュさせてくれるような感覚がある。 私の周りには数人の旅人がいる。 日本の四季の目まぐるしい変化についていけないことや、自分の楽しみ、学び、仕事のためというのもある でもみんなそれぞれに今を楽しもう、精一杯生きようとしている姿に変わりはない 私の中のイメージでいうならば、彼らは渡り鳥 寒くなると南へ 暖かくなるとしばし生まれ育った祖国へ戻り
日常生活の中ではよほど意識をしていないと誰かとゆっくり話をすることも難しいことが分かってきた。でもたまにはあえて作ることが必要。 そしてまた対話はもたれた。 今回の話のひとつのテーマは非暴力的コミュニケーション aicoが読んでいる本でその本は彼女にとってバイブルのようだという。一生共にしていく本になるかもしれないとのこと。 私は最初このタイトルを聞いた時、ドキっとした。 ネガティブな意味合いかと思ったから。 でも暴力的でないコミュニケーション、という意味合いは、