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「どっち」の世界。二択の狭間で考える日常の不思議

日頃から「どっち?」と考えることが多く、まとめてみました。


「どっち」の世界。二択の狭間で考える日常の不思議

私たちの日常生活は、しばしば「どっち」という二者択一の状況に直面します。一見単純に見えるこの「どっち」という問いかけは、実は私たちの思考や価値観、さらには社会の複雑さを映し出す鏡となっています。今回は日々の生活で遭遇する様々な「どっち」の瞬間を探りながら、その奥に潜む意味を考えましょう。

言葉の不思議。表記と発音の迷宮

言葉の世界は「どっち」の宝庫です。例えば「一生懸命」と「一所懸命」どちらが正しいのでしょうか。実は両方とも正しい表現なのです。意味は同じですが、由来が異なります。

また「収束」と「終息」という似て非なる言葉があります。パンデミックの際にしばしば使われましたが、これらの使い分けに注目している人もいるようです(私です)。

さらに発音の世界でも「どっち」は存在します。「ロフト」は「ロ↑フト」なのか「ロフト↓」なのか。このような些細な違いが、時としてコミュニケーションの障害になることもあります。

技術と表現。デジタル時代の「どっち」

デジタル時代になり、新たな「どっち」も生まれています。「Web」と「WEB」どちらの表記が正しいのでしょうか。また、「Webオウンドメディア」と「オウンドWebメディア」、順番はどちらが適切でしょうか。

ファイル名の命名規則も悩ましい問題です。画像ファイル名はハイフン(-)とアンダースコア(_)のどちらで区切るべきか。これは個人の好みや組織のルールによって異なることが多いですね。

生活の中の選択。健康と幸せのはざま

日常生活の中でも、私たちは常に選択を迫られています。例えば健康のために腹八分目で食事を控えるべきか、それとも筋力をつけるためにたくさん食べるべきか。これは個人の目標や体質によって異なる答えになるでしょう。

また、飲食店に行く際も「どっち」の選択があります。二人以上で行けば楽しく会話が弾むかもしれません。しかし、一人で行けばお店をよく観察でき、後々の文章のネタにもなります。どちらを選ぶかは、その時の目的によって変わってくるでしょう。

社会と文化。「どっち」が正しい?

社会問題や文化の違いも、しばしば「どっち」の形で現れます。例えば、実名と匿名、どちらがオンライン上で望ましいのか。これは個人の事情や状況によって異なり、一概にどちらが正しいとは言えません。

また、「スピード感」を重視するベンチャー企業文化と、じっくり考えて行動する従来の企業文化。どちらが正しいのかは、結果を見てみないとわからない難しい問題です。

「どっち」を超えて

私たちは「どっちが良いか?」という二項対立で物事を判断しがちです。しかし、現実はそれほど単純ではありません。多くの場合、答えは「どちらも良い」「場合による」「人による」「価値観による」「時代による」「リソースによる」となります。

重要なのはこの複雑性を受け入れる柔軟さを持つこと。時にはAとBが互いの正義を掲げて戦っている状況で、第三の選択肢Cを提示することも必要かもしれません。

結論。「どっち」の先にあるもの

「どっち」という問いは、私たちに考えるきっかけを与えてくれます。しかし、常に二者択一の答えを求めるのではなく、その背後にある複雑な要因を理解することが重要です。

時には「どっち」と問われても、「それぞれの良さがある」と答えることも大切です。例えば、肉食系と草食系、どちらが好きかと聞かれても、「人間が好き」と答えることもできるのです。

結局のところ、人生の選択に絶対的な正解はありません。大切なのは選択した後にどう行動するかです。「どっち」に悩むよりも、自分の選択に責任を持ち、最善を尽くすことが、より豊かな人生につながるのではないでしょうか。

この「どっち」の世界を通じて、私たちは自分自身の価値観や、社会の多様性をより深く理解することができます。次に「どっち」という問いに直面したとき、ちょっと立ち止まって考えてみてください。その先には、きっと新しい発見が待っているはずです。

後編

後編は下記の記事をご覧ください。
「どっち」のパラドックス。二者択一の奥に潜む複雑性


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