枝葉末節談話10話目:継続は脅迫観念なり

note毎日更新は無理のある範囲で

note毎日更新を目指して一か月が経った。我ながらよく続いているものである。別に誰から強要されているわけでもない。毎日面白い話を考えられるわけでもないし、やる気が出ない日だってもちろんある。そんな日は明らかに文字数が少なかったり、内容が無かったりする。

私の中の論理的な人格がこう言う。無意味だ、と。

本当にそうなんですよね。どんなに苦行を積んでも誰も救われない状況を見て無意味だ、と言ったブッダのように、私も毎日更新そのものは無意味だと思います。ついには毎日更新しないと、これまでの継続が無駄になるという事実がモチベーションになっちゃうんですよね。はい、投資でも人生でも失敗するパターンです。成功する人は無駄だと感じたらさっさと離れるんですよね。それがスマートにできるほど賢い人間ではありませんが。

積みゲー、衝動買い……

さらに似たような悩みに積みゲーがあります。これはゲームが安いからってたくさん買ったり、DLしたりして、結局遊ばずに積んでいってしまうことを言います。元は積読(本をいっぱい買うけど読まずに積んでいく)ことから来た言葉だそうです。社会人は時間がないからという理由もあるんですけど、他にもテンションがなかなか上がらない、新しいものを受け入れる余裕がなくなる、そういう理由もあります。

そして私の場合はそれに衝動買いが加わってます。アマゾンとか見てるとなんかあれもこれも欲しくなっちゃうんですよね……

何でも買えるようなお金持ちになりてぇなぁ。

結局は中庸を目指すべきか?

高校時代、中庸という言葉が好きでした。確か倫理の授業で習った言葉だったと思います。中正な態度を言う言葉だそうで……確かに中途半端に片寄った人というのは概ね不幸ですよね。自分もその自覚があります。

むしろめちゃくちゃ感情的で情緒的とか、あるいは徹底的に論理的なミスタースポック(最近の人は知らないか?)みたいな人の方が信頼される傾向があると思います。

突き抜けた人になれないなら、できるだけバランスを取って……

人生は難しいものですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?