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生活を営むことへの想像


いつも、どこにいても、時間があると窓から外を眺めるくせがある。

それは、人の生活が好きだから。


人の生活がとても好き。愛おしく思う。



窓の外を見ると、人の家があって、人の窓があって、そのひとつひとつの窓にはひとつの生活がある。会ったことも見たこともないたくさんの人たちが、それぞれ何かを考えたり感じたりしながら生きている。

それを想像するだけで私は、ソワソワしてなんだか胸がきゅーーってしてくる。

色んなことを想像する。
夕ご飯のメニューは何にしよう、とか、今日奥さん機嫌悪くない?とか、ピアノのお稽古しなきゃ、とか
もうキリがないけど、それぞれが色んな、ほんとに色んなことを考えながらそれぞれの生活を営んでいて、
それはもしかしたら私が今までに経験した何らかと似ているかもしれないし、
私が全く知らない行動や感情かもしれないし。


そしてそうやってしているほとんどの人に私は会ったことがないし、多分これからも会わない。一生会わない人がたくさんいるのか、と思うと、それと同時に、じゃあ今私の近くにいる人たちってすごい確率で出会ってるんだな、とか思ったり。


そういういろんなことをぼんやりと考えるのがとても好きで、だから昔から都会の夜景も好きだった。ネットから拾ってきた都会の夜景の写真を印刷して壁に飾ってたくらい。
あの1個1個の光にはひとつひとつの生活があるんだ、と思って胸が高なった。
都会の夜景を見て、こんなにも知らない世界があるんだ!って思って、自分はまだ何にでもなれるしなんでもできる!とか思ってた頃もあった。



生活を象徴するひとつが、洗濯物だと思う。
私は洗濯物が大好きだ。

あ、洗うのとか干すのとか畳むのはそんな好きじゃない。まあ嫌いでもないけど。


物質的な洗濯物っていうより、

外に干されて、風になびいたりなびかなかったりしているやつが好きなのだ。

そこには生活がある。生活の象徴は洗濯物だと思う。

あの洗濯物たちには、着た人がいる。それを洗濯した人も干した人もいる。そしてそれを取り込む人もおそらくいる。それは全部同じ1人の人かもしれない。違うかもしれない。

そう思うと、洗濯物からその人たちの生活が浮かんでくる。あ〜みんな暮らしてるんだな、ってなる。その感覚が好きで、私は洗濯物を眺めている。

そこにある洗濯物、靴下1つとってもそこには1人の生活があって、あ〜疲れた、とか言いながらそれを脱いだかもしれない。

1つの窓にある洗濯物たちには、それぞれに「雨降らないといいなぁ〜」だったり、
「そろそろ取り込まなきゃ」だったりがある。


洗濯物ひとつひとつの裏にある、たくさんの暮らし、心の動きを想像するのが好き。たぶん、制限がなければ本当にずっと見ていられると思う。ただひたすら、ぼーーーっと。


たまに、ラッキーな日がある。
洗濯物を干したり取り込んだりする人を目撃できた時。生活があるんだということを改めて実感でき、胸が少しだけ高なる。
あとは、窓を開けたり閉めたり、夜だったら電気をつけたり消したり、そういうのを見られるのもめちゃくちゃラッキー。


こうやってしている時、ふと家族との生活を思い出すことがある。過去の、ぼんやりした、でも今思うとひたすら幸せだった日々のこと。
今は一人暮らしだから余計に、そういう記憶の温度をはっきり感じる。少しさみしくなる。

でもむしろ、そういうあったかい記憶が今の自分を支えているんだろうなぁと思う。



当たり前すぎるかもしれないけど、生活っていいなぁ。暮らしっていいなぁ。その全てには人の温度があるのだ。


おわり


今の気分
電車のアナウンスで、
新年度が始まって疲れが溜まってきた頃だと思います。皆さんお体にお気をつけてください。
みたいなことを言ってた。
そういうちょっとした優しさには、ちょっとだけ心がゆるむ。うれしいなぁ〜🍀


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