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夢をみていた(2023-6-4)

投稿が長い間止まっていた。
言い訳にはなるけれど、陶芸と仕事の両立で余裕がなかった、というのと、この1ヶ月、ある人にのめり込んでしまったからだと思う。後者に関して、いわゆる、恋だった。

彼がこのブログを見つけることはきっとないし、実際読んでくれる人もそんないないから(笑)、この1ヶ月を残しておきたい。本当に忘れたくない、というか忘れられない、奇跡みたいな1ヶ月だった。

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陶芸家の人と私が住んでいるシェアハウスの前でタバコを吸っていたら、向こう岸からトランクを転がして向かってくる彼がいて、多分今日から1ヶ月でくる人だろうな、と見当をつけて、大きな声で名前を呼んだ。するとそれはやはり彼で、手を大きく振りかえしてくれた。大きな体で無邪気に走ってきた。

顔を見合わせたとき、私はなぜか興奮していた。自分はきっとこの人に恋をするだろうな、という、予感からくるものだったように思う。

彼はオーストリア人だった。オーストラリアじゃなくて、ヨーロッパの方。私より二つ下だったけど、髭を生やして、顔も大人びていたから(海外の人あるある)、30くらいにみえた。

聞くと美大生で陶芸家を目指しているとか。今回は日本の陶芸を学校で学ぶため、1ヶ月限定で来たそうだ。

多分通じないよな、と思いながら日本語で挨拶したら、全くダメだった。愛想笑いをして、「ア、ニホンゴワカリマセン」みたいなら調子だった(かわいい)。

私も超〜〜久しぶりに英語を使うのでこれから1ヶ月やっていけるかな…と一抹の不安がよぎったけれど、この人と話がしたい、という気持ちが優先して、すぐに開き直った。2階を案内するために向かった階段で、これから生活をともにできるうれしさから、小さくガッツポーズした。

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家の中を案内した後、買い出しをするというので、近くのスーパーまで連れて行った。日本人はこれをよく食べるよ、とか、私的にはこれがおすすめ、とかそんな話をした気がする。その日はとても暑い日だったから、アサヒビールを手にしたら、僕も一緒に買う、と言って買ってくれた。

海に沿って飲みながら帰った。なんでこっちに来たのか、ここに来るまでに日本のどこを回ってきたのかとかそんなことを話した。

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私は毎日朝5時に起きて、一階のシェアスペースで仕事をしているんだけど、翌日から彼も起きるとそこに顔を出すようになった。いつも私の隣で日本語を勉強していた。時にはオーストリアのやり方でコーヒーを淹れて(彼はそう言ってた)持ってきてくれた。

そんなふうに毎朝過ごしていたから、休日は自然と一緒に出かけるようになったし、平日は私は陶芸家の師匠のところへ、彼は陶芸の学校に通うので、毎朝私の車で彼を送るのが日課だった(出る時間が一緒だったの)。平日の夜はお互いが帰るのを図らずも待って、2人でご飯を作ったり、外食に行ったりした。

今思えばもう1週目から彼のことを好きになっていた。明確にここで好きになった!とかはないんだけど、本能的な、存在自体が好きだった。

2週間目の週末、外は雨模様。なんか暇だよねぇ、でも外には出たいよねぇという話から温泉に行って、彼が晩御飯を作ってくれることになった。

温泉はもちろん最高で、湯上がりからさっさと買い出しをして、サクッと海辺でワインを開けて。真っ暗な水面にいろんな光が反射してとてもきれいだね、とかそんなこと話しちゃって。

その後に彼がリゾットを作ってくれた。手際は良いわ、野菜のヘタや芯からダシを取るわ、ですごかったわけ。聞いたら、陶芸家じゃなかったからシェフを目指していたらしい。なぁるほどな。

このあとに私たちの関係を変える出来事が起こる。彼が作ってくれたリゾットを食べ終わって、音楽を聴きながらのんびりしていたときに、なにかをものいいたげな顔をしていた。

そうしたら、君のことがとても好き、キスがしたい、と。

私としてはうれしくないわけがない。でも実はちょっと事情が違う。

彼はオープンリレーションシップで彼女がいた。オープンリレーションシップはお互い了承の上で、違う人に恋愛感情とか体の関係を持ってもいいよ、というもの。彼女は同じ大学の人で最近まで藝大で留学っぽいのしてたらしい。

私は正直いくらオープンリレーションシップでも、一線を越えてはならんな…と自制していたので、その話を伝えた。万が一、彼女がそれで傷つく可能性があるなら本望ではないと。そして、今思えば良くなかったなと思うけど、自分の気持ちも素直に話した。

私の好意を知っても一貫して彼は落ち着いていたけど(多分気づかれていた)、もう本当に君が好きなんだ、と10回くらい言われたと思う。もう私もよくわからなくなっていたので、今日は一旦寝たい、と言ってその日は終わった。

翌朝起きたら、長文のメッセージが入っていて、僕の彼女は僕が幸せならそれを祝福してくれる人なんだ(本当かよって感じだ)。君にloveとは言えないけれど君がマジで好き、1ヶ月だぜ、レッツエンジョイ♪みたいな内容だったと思う。なんとも言えぬ複雑な気持ちになったけど、あんたらがいいなら私は失うものも何もないし、どうにでもなってしまえよ!と半ばな気持ちでオッケーした。軽い男なんやなぁとこの時は思ってた。

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それからというもの、時間が合えば寝る前に彼は私の部屋に来た。本当にいろいろな話(友人関係、お互いの国伝統文化など)をしたし、映画も何本も観た。

この辺りから、彼は公であっても私と目が合えばキスをし、時には抱き上げて、とそんな調子だった。どこまでも彼はオープンで正直な人だった。

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そして思えば、この1ヶ月で本当に色々な土地へ行った。倉敷に行って藍染めをみたり、瀬戸内海へ釣り(ダイソーで買ったやつでカレイ釣った)に行ったり、小豆島に行ったり。

小豆島は思い出深い。観光地のエンジェルロードに行ったんだけど、大勢の観光客の中で彼は水着になり(私の持ってきたワンピースで股間周りを囲って着替えていた)、海に入りバッシャバシャ。茜も来なよーなんて言われたから、私は私服のまま入水して、もうそれはそれは、見物客が私らを囲んで写真を撮る騒ぎになった。通常の私なら羞恥でそんなこと絶対にしないのだけど、彼は私の心を自然に開いてくれる人だった。

真っ白な肌を持つ彼は案の定、全身赤く焼けてしまった(かわいい)。お昼やカフェではドイツ語を教えてくれたり、オーストリアの家族、郊外に住む祖父母の話、デンマークでの留学の話を聞かせてくれたりした。ヨーロッパってあまり縁がないと思っていたけれど、関心が湧いた。世界を広げてくれる人だ。

帰りのフェリーで、私は眠ってしまった。起きたら、息を呑むほどの夕焼けが海と山の向こうに広がっていた。ふと、私は自分の名前にサンセットの意味を持つことを話した。すると僕の名前には、サンライズの意味があるよ、と教えてくれた。共通点が見つけられたようで、ちょっとうれしかった。

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彼はストレートにものを言うし、周りの視線を厭わず好奇心から行動を起こすけれど、とても周りを気遣える人だった。私が仕事で忙しそうにしていれば、絶対に話しかけてこないし、学校で片付けが遅い子がいれば手伝ってあげていた。海外からの見学者も多いことから、英語ができない職員に変わって率先して案内していた。大事に食べていたと思われる抹茶味のキットカットのラスト一個を人にあげていたときの切なげな顔は忘れられない(かわいい、あとで同じやつ買ってあげた)。

あとは日本人ならではの作法や礼儀を理解していて、正直そのあたりは日本人を超えていた。誰よりも掃除は徹底的にしていて、それはみんなが帰ったあと、行き届いていない部分を1人でやっているようだった。抹茶茶碗を作るのに奮闘していた彼は、急須で緑茶を淹れるのにも長けていた。あらゆる意識や行動が焼き物に通じていることをしっかりとわかっていたし、深みを理解するための勉強や日本人的な心構えを怠らなかった。

そんな彼の行動や性格から受け取ったものは計り知れない。

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最終週が近づくと、私だけでなく、彼も私と離れることを悲しんでくれているようだった。私はこの辺りで、シェアハウスから近い空き家に引っ越しをして、一人暮らしを始めていた。

最終日の前日、2人で山に登ったり、温泉に行ったりした。山では、これまでの恋愛のこと、お互い一緒にいる中での発見、ここではちょっと書けないようなことなど、結構ディープな話をした。

僕は隠し事はしないから、なんでも聞いて、という彼のスタンスがとても好きだった。実際、どんな質問をしても明快かつ詳細な答えが飛んできた。多分彼は嘘をつかない、いや、つけない人だと思う。

彼女ではない、私と同じような関係を持った人は私以外にはどれくらいいるの?と尋ねると、パーティで死ぬほど酔っ払って10数人の男女とめちゃくちゃキスをしたことはあるけど、それ以上の関係を持ったのは君が初めてだよ、とのことだった。日本人からそれ聞いたらわりかしクレイジーでいくら好きな人でも嫌になりそうだけど、異国ルーツの彼だから許せたし、そっか私が初めてなんだと思ったら、純粋にうれしかった(私も感覚がバグってきてる)。

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夜は行きつけの日本料理屋さんに行った。5年後、10年後、お互いどうなっているかな、なんて話をして。夜が深まり、ずっと会った時から聞きたかったことを聞いた。生まれてから今に至るまでのぜんぶ、隅々までを教えてほしい、と。

内容は話せば長いので割愛するけれど、一言で言えばしっかり人生に迷ってきて、道を切り開いてきた人だった。今では信じられないけれど、とてもシャイだったらしい。彼のことがより尊く、愛おしくなったし、彼のことがさらに好きになった。

気づいていたけれど、彼は全く軽い人なんかではなかった。ちょっとでもセフレとして見られているのではと疑った自分を殴りたいくらいだ。離れても君がどういう人生を歩んでいくのかを知りたいし、何かあれば全力でサポートしていくよ、とまっすぐ目を見ていってくれた。

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翌日、彼は私と別れる前に手紙をくれた。私も書いていたので渡した。必ずまた会おう、その時まで、と電車のホームから彼を見送った。

家に帰り、手紙を読んだ。内容は、私との日々、私の良いところ、彼のこれからについてなど。選び抜かれた言葉で紡がれていて、胸を打つ内容だった。

その中で彼がこう書いてくれていた。

I certainly was confused and caught myself dreaming of an alternate reality where I stayed in here with you.

なんというか、深いため息が出た。彼からのloveという言葉をもらったことはなかったからわからないけれど。

もし、彼に彼女がいなくて、長期的にこちらに滞在していたら、状況は違ったかもしれない。でも、1ヶ月というタイムリミットが背中を押して、私たちの関係を燃え上がらせた面も大きい。

期間は短くても、本気で好きだったなぁ。毎日一緒にいた彼がいなくなってからここ数日は何も手につかなくて、ずっと家でぼーっとしている。彼からのメッセージには返信できていない。

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