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装いと形態形成学からの希望ートマ・ゴルセンヌ「装いの系譜学」(2017)の要約

トマ・ゴルセンヌ/筧菜奈子訳「装いの系譜学-記号的モデルとしての紋章から有機的モデルとしての織物まで」(現代思想2017年3月号)の要約です。

内容

「人間だけの特権である」と考えられていた、というゴーフリット・ゼンパーの視点を端緒として、レヴィ・ストロー、フィリップ・デスコラの四分類やポルトマンの動物論や形態形成論をまたぐ、「装い」の考察である。

副題にもあるように、筆者は「装い」を「記号的モデル」(無機的なもの)と「有機的モデル」という二つの側面から分析している。結論として、過去50年間に発展してきた形態形成論の見解から、人間と動物(自然)に共通する要素として「装い」を位置付けており、今後これらの見解のさらに発達することに期待を寄せているものである。

論文の構成としては、冒頭で「人間はなぜ装いをするのか」という問いに対する一般的な誤解を取り上げ、この悪しき問いが導く人間性のイメージを明らかにすることから始まる。そして、「無機的・有機的モデル」という二つの観点から「装い」の分析をしていく。特に後者の「有機的モデル」に関しては、分量を多く脇、詳細に説明している。

無機的な装い、あるいは文化の製造所

筆者は第一に西洋思想史において衣類と装いの出現は、キリスト教の出現とともに問題かされてきた。神は衣服を人間の堕落の象徴とみなし、「自然の人間」と堕落後の「文化の人間」とを区別した(アウグスティヌス)。キリスト教では「裸性」を取り戻すことが求められる。しかし、人間は自分たちの弱さを発明や製作によって補い、衣服は人間化の機能をはたすものと理解されている。そして、人間は外見を見せるべきではなく、特有の外面的な特徴を示すべきであるとする考えは、西洋思想に深く根ざしている。

レヴィ=ストロースの研究では、人間が装いによって表現されることが示され、ブラジルのカデュヴェオ族のインディアンの例を挙げている。彼の研究では、装いの人為的な変更に、自然から文化への移行を示し、象徴の世界に入ることを意味している。

ジンメルの装い

ジンメルは装いの側面について、刺青、衣類、宝石品という三つの形態を区別し、それぞれの特徴を分析している。刺青は装う人の個性となり、その人の肌から取り去ることのできない有機的な一面を持つ。それに対極するのが宝石で、非有機的(無機的)であり、とったり外したりすることができ、装う人の個性を奪う。間にある衣服は、新品であれば、非個性的な多いであるが着古すことで、その人の個性となる。筆者は、この非個性へ導く性質を近代以降の社会で重要視しており、無機的な装いが近代人に必須であるのは、集団への再登録であるとともに、年社会と産業社会における有害な個人主義に対抗するためである」という。

そこで、筆者は再度レヴィ=ストロースの紋章論を取り上げる。紋章が複雑な言語としてアイデンティティに関する情報を視覚的に伝える役割を果たす。例えば、クレストはトーテミズムと結びつく象徴的な意味を持つものである。このトーテミズムは、装いがイメージとアイデンティティの関係をしめし、文化的な意味を持たせる役割を果たしている。

これらの要素は、「装い」の抽象的な性格、象徴体型、装いが生み出す人間らしさ、そして社会的な性格と密接に関連している。

有機的な装い、あるいは自然の製造所

ナチュラリストとしてのゼンパー

ゼンパーのいう「人間だけが装う」という主張に対して、二つの反論ができる。一つは、民族学的な観点から見た場合、装いが人間に特有のものとする考えは西洋的なナチュラリズムに基づくものであるという反論。もう一つは、動物行動学的な観点から、動物も装うことが可能であるとする反論。この二つの反論は、自然と文化の境界を移動させるが、人間と動物の間の境界を一致させるものではない。

フィリップ・デスコラの研究では、「自然」と「文化」の間の深い分裂に対する民族学的な批判が取り上げられている。デスコラの「自然の人類学」は、人間だけが「ペルソナ」としての特権を持ち、他の生物とは心理的・知性的に根本的に異なるとする「ナチュラリズム」という分類がある。また、「アニミズム」の分類では、すべての生物が内面的には人間と同じであり、「ペルソナ」であると考えられている。

ポルトマンの動物論

動物の装いに関しては、アドルフ・ポルトマンの動物の外観が視覚的な意味を持つという研究が挙げられる。ポルトマンは、動物の外観が種の保存だけでなく、個体の識別や社会的な役割を表すために機能すると考えましたが、彼の視覚中心の理論はヨーロッパ文化の視覚重視の歴史を反映しており、その限界が批判されている。例えば、ポルトマンは、「装い」を文化的・精神的なものとみなす典型的な人間科学の視点に基づいている。

装いと生物、そして美の関係を考える際、装いが魅惑という観点から語られることは一般的だ。装いは視線を引きつけ、その持ち主を引き立てる役割を果たし、人間と動物の装いは、文化と自然を超えて共通の機能を持つ。

形態形成学

形態形成学は生物界と無生物界を区別せず、両者に共通する物理的な力が形態の形成に作用していると考える。例えば、生物界では内部からの力(例えば細胞の増殖)が素材を外面へと押し出すのに対し、無生物界では外部の力(例えば重力)が素材を内面へと押し進める。この違いが、生物の柔軟性や壊れにくさを説明する要因となっている。形態形成学の視点からは、動物や人間の装いが機能に応じてデザインされるのではなく、自然の中での成長や力の作用の結果として生まれるものであると理解されている。

このような形態形成学の発展により、自然の諸形態(魅惑、防御、迷彩効果)と人工の装いが共通の物理的力に基づいて形成されていることが明らかになりつつある。これにより、装いが内面的な生命力を表すものとして理解される可能性が広がっている。

最後に
デスコラのアニミズムの解釈や動物行動学の研究は、人間と動物の間の文化と自然の結びつきを解消し、装いが持つ記号学的な役割を超え、内面的な生命力を表現するものとして新しい思考の体制に移行する助けとなっている。形態形成学の教えに基づいて、装いの多様性を理解することが、今後の課題となるだろう。


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