どこに意識が向けば恐れる事が無くなるのか?
こんにちは、山本茜です。
昨日は少し混乱していました。
自分の行っている事全てがおかしいと思いこんでいた様に思いました。
さて、全てがおかしいと言えるのか、いや言えない。
ただ、この先のことを思い煩い、恐れていました。
しかし、未だないものや事柄を恐れて、どうなるのでしょう?
そんな時、時々開く石井ゆかりさんの著書『禅語』を紐解きます。
【施無畏】
せむいと読みます。
畏れる(おそれる)ことは、無いんだよと施すことだそうです。
菩薩や如来が右手を上に向けて開き、手のひらをこちらに向けるポーズを指します。
「大丈夫だよ〜」
っていうポーズだったんですね!
そうか〜、、、
いい言葉を知りました。
久しぶりに何度も何度も書きました。
不思議なのですが、腑に落ちたときしっくりとした字が書けるのです。
「美しい文字を書かなければならない!そうでなければ認められない!」
ということを畏れていました。
それこそが煩悩であり、集中していないということです。
つまり、未来に意識が向きすぎると畏れる。
そして、過去に意識が向きすぎても畏れる。
その上で思ったのは、他人に意識が向きすぎても、畏れが生じる。
【今、ここ、自分】
ということに意識が向けば、畏れも不安も悩むことがない。
そして、この事は自分に対しての戒めであり、あなたに上から目線で語ることではありません。
ただ私は、「施無畏」ということを、自分自身に施そうということです。
教えを説くというより、「仏陀って凄いね!」と、分かち合いたいなと感じています。
今日もよい一日に。
ごきげんよう❤
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