日記 131 虐殺器官

伊藤計劃という名前を聞いたのはホントに何年も前。多分中学生の頃にノイタミナの深夜アニメをだらだら見てたときにプロジェクト伊藤のCMを見たことだった。いかんせん10年くらい前の事なので曖昧ではあるが、調べた限りでは当時見たCMのような動画が8年前に存在していたのでおそらく覚え違いではない。

当時はただのCMとしか思っていなかったはずで、記憶に引っ掛かっていたのも伊藤計劃って名前をカッコいいと思ったからでしょう。そんな記憶の欠片が書店を彷徨いてるときにがっしりハマったときはビックリしたのが去年。棚に置いてある虐殺器官を見て「これあのときのやつじゃねーか!!」と少しはしゃいだ。SFはジャンルとしてそこまで好みでなく、そのときははしゃいだだけで買わなかったが日に日に買っとけば良かったのになーと思うようになり、先月にようやく買いました。

表紙かっけー!

なんだか旧友と再開したような気分で読み始めましたが内容はタイトル通り血と硝煙の色が濃い戦争の話、そして信仰と救済を軸に構成されていると俺は思っている。例えばキリスト教では告解室で自らの罪を神父に告白して許しを乞う。じゃあそれできれいさっぱりと罪の意識を雪いで前を向けるんだろうか。主人公たちは国に所属する暗殺者としての何人もの人を殺す。主人公の同僚にはクリスチャンがおりその人物は「地獄は頭の中にあり逃れられないものだ」と言う。俺はこの台詞がこの本を読んで一番印象に残った。俺が宗教を持たないからこう思うのかも知れないが、結局神様は何も許してくれないし罪悪感は自分の中に残り続けるのだと。

作中には様々な信仰が出てくる(依存や盲信と言い換えてもいいかも)。信じれば救われるのか、この本に答えはあるわけではないし(そもそも俺が勝手にこう読んだだけ)、俺も答えは出ないけど、信仰と救済のいくつかの形がこの本から覗くことができます。SFとしても設定がとにかく硬く組まれていて素敵。虐殺器官、読んで損はないですよ!!!

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