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50年前の仕事ツール

1974年4月1日に就職して働き出して、今年2024年3月で50年になりました。昨年末に良い機会なので仕事は終了しました。
今は、パソコン、スマホ、タブレットなどにより情報収集、レポート作成、計算などがどこでも簡単に操作、作成できるようになりました。生成AIを使用すれば、簡単な報告書、挨拶文などが瞬時に出来上がります。
50年前はどうだったか?思い出してみました。

算盤と計算尺

電卓は無く、基本的にはソロバンが使用されていました。技術職は計算尺を使用していました。新入社員の月給が8万円前後の時代に、技術用電卓は3万円でした。入社2年後には給料が10万円近くになったので、奮発してコモドール社の電卓を3万円近くの価格で購入しました。毎年、ベースアップが20%、30%アップした時代でした。電気関係の仕事をしていたので、対数計算などが必須でしたので、大変役に立ちました。2、3年後には、シャープなどからもっと安価な電卓が出回りました。多分、数千円で購入できたと記憶しております。更に年月が経つと、数百円で購入できる時代になりました。

手書き書類作成

今はドキュメント作成アプリがあり、パソコンで書類、レポート、報告書などの文書が簡単に作成できるが、50年前には、そもそもパソコン、コンピュータなどが無く、唯一、タイプライター、和文タイプで正式書類は作成されていました。一般的には全て手書き文書でした。提出した書類に上司から修正命令が下ると、本当に泣きたくなりました。何故なら、今はコピペで簡単に修正できますが、手書きの場合は、簡単な誤字程度なら、消しゴム、または修正液で直しましたが、段落書き直し、追加・削除の場合は全て最初から書き直さなければなりませんでした。その時は、上司を鬼とも思いました。ワープロは10年以上経ってからだと思います。高価で購入できませんでした。

青焼きと第二原紙

作成した書類は簡単にコピーまたは印刷ができる時代になりましたが、50年前はアンモニア湿式コピー(通称:青焼き)しかありませんでした。青焼きするためには、書類または図面をトレーシングペーパーで作成(原紙)しなければなりません。原紙の下に感光紙を挟んで露光しアンモニア溶液で現像します。したがって、コピー室はアンモニア臭が充満して別室扱いとなっていました。原紙は重要なので、何度もコピーするような場合は、第二原紙をトレーシングペーパーのような第二原紙用感光紙で同様な方法で露光・現像して作成します。第二原紙の修正は、砂消しゴムで削って修正しました。

フィルムカメラとスケッチ

書類には画像が必要な場合があります。その場合、当時はフィルムカメラでしたので、必要な枚数を現像し、青焼きした書類に添付(糊付け)しました。または、トレーシングペーパー(原紙)に画像をトレーススケッチしたりしました。フィルムカメラの現像には日数と費用が掛かりますので、一般的にはトレーススケッチで対応しました。現在は、スマホまたはデジカメで撮影し、画像修正を行いドキュメント作成アプリに挿入し自由に大きさ、レイアウトが決められます。

コンパスと定規

直線や円を書くときは、定規とコンパスを使用します。設計図面や回路図などを書く時は、直定規や三角定規やT定規(製図台使用)を使用します。曲線を書く時はコンパスだけでなく、複数の曲線が複数枚の組み合わせで選択して描くけるようになった雲型定規と言われる定規を使用します。フローチャート、三角、四角などが組み合わされた定規(テンプレート)もありました。現在は簡単に図形を選択して貼り付けるだけで済みます。

スチール机と3本脚椅子

机にはこれらのツール、参考資料、レポート類などの収納が必要となり、袖机は必須でした。机の上は、資料、製図台、定規類、筆記道具、灰皿(昔は自分のデスクでモクモクと喫煙していました)などが散乱しておりました。そして更に固定電話が各机に置かれていました。今はパソコン、外部モニター、マウスだけでスッキリしています。椅子も3本脚のキャスター付きの椅子でした。背もたれはあってもなくても良いと思われるほどのものです。安定が悪いのでひっくり返ります。

まとめ

今期の連続ドラマで話題になった「不適切にもほどがある!」の10年以上前(ドラマの時代設定は1986年昭和61年)の1974年昭和49年の時代の話です。仕事の効率は、現在と比べて数分の一であろうと思われます。でも、毎日コツコツと仕事をしていました。今ならパソコンでアプリを使ってコピペ、自動処理など簡単にできる作業も、地道に手作業で進めていました。そのため、度々休憩(喫煙、コーヒー)をとり同僚や上司とおしゃべりをしていました。今なら黙々と仕事ができて効率が良いことだろうと思います。

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