「一分程度で自己㏚をしてください。」 うわっ。。。でたよ、このくだり。めんどくせーと思いながらも、淡々と薄い雲がかかったような記憶を頼りに話していく。話しながら、修正して何とか一分で終わらせられるように意識する。期待の若手社員みたいな髪型をした男が口角を上げているのか上げていないのかよく分からない微妙な表情で聞いている。そんな顔するなら聞くなよとは思うが、仕事だから仕方ないのかとも思う。この退屈な時間を乗り切るために面接終わりに飲みの約束を入れておいて正解だった。さもなくば
音が聞こえる。はっきりとせず気を抜くとどこか遠くへ消えてしまいそうだ。僕が一番嫌いな音なのについつい耳を澄ましている自分に気がつく。 「あいつマジうざい」なんと悲惨な悲しい音であろうか。この音は僕の中にスーッと入り込み心を曇らせる。 いつからだろうか。僕が同じ音を奏でるようになったのは。小さかった音が段々と大きくなり、いつしか周りの音は遮断された。百円ショップのイヤホンが最新式のヘッドホンになった気分だ。音の性能はより鮮明に、はっきりと奏でられ、自分の意志とは裏腹に勝手に奏で
私は理想主義者だ。しかし、なぜか周りからは現実主義者だと言われる。無理もない。私は全部を言わないのだ。年間自殺者は2万人を超える。老後はどうなるか分からない。高齢者の20%は貯金100万円ないのだ。自殺を考える人すらいる。働けば目標(ノルマ)に追われ、上司に使われ、上司はさらに上に使われる。なにがいい社会だ。低賃金労働で毎日、日が暮れるまで、時には真っ暗な夜も働いて、、、。 これだけ聞くと私のことをネガティブだと思うだろうし、現実を見ているという点から現実主義者だと言われるの
皆さんは神を信じますか?信じる人もいれば信じないという人もいると思います。突然ですが、綺麗な風景を見た時に何を感じますか?? 私は何となく神という概念を考えます。どうしてなのかは分かりません。なぜか物心ついた頃から神様という言葉を知っていましたし、何となく考えたりしていました。日本では神道という宗教なのか宗教ではないのか分かりませんが、そういう宗教があります。何言ってるかよく分かりませんよね(笑) なんで神道が宗教的枠組みのグレーゾーンなのかというと、教祖がいないからなん
最近よく思うんですけど、「男らしさ」「女らしさ」って近づいていませんか?私は、ほんとにこれをよく考えます。主夫がでてきたりしてますもんね。一昔前だと世間から批判されていたと思うんですけどねー。不思議と徐々に受けいられていますよね。男が稼いで女が家事をする。昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りへおばあさんは川へ洗濯に。これ誰が決めたんでしょうか?誰が決めたか分からないですけど、結構この規範強かったですね。(笑)しかし、この規範だいぶ薄まった
私は最近ゲイやレズといった同性愛者を統一して考えるのではなく、別のものとして考えることが必要だと思います。皆さんはどうでしょうか。ゲイやレズ=同性愛という思考になっていませんでしょうか?私は、この状況を改善する必要があると思います。だって、ゲイとレズは別の性的志向ですもの。そんな一括りにできませんよ。私なんかはこれらを一緒だと考えるのは自分が正常な人間だと思い込んでいるからだと思うんですよ。こんな批判してますけど、私は異性愛者です(笑) ていうかそもそも異性愛っていう概念は
こんにちは!最近、犯罪に関して面白い話を聞きました。ほんとに興味深い考え方だったのでシェアしたいなと思います。 まず皆さんは犯罪のない社会を想像できますか? そしてそれはどんな社会ですかね? 世の中から犯罪がなくなると良いに決まっているじゃないか!!!!そんな当たり前なこと考えてどうするんだよ、、、 こんな風に思う方もいるかもしれません。しかしですね!私がこの前聞いた話では、犯罪の無い社会は異常だそうです。 えーーーでも犯罪が無ければ傷つく人がいなくなるじゃない
犯罪はよくない。犯罪者は異常だ。普通じゃない。なんでそんなことする。理解できない。私はニュースで事件を見るとそんな風に思う。自分はそんなこと絶対しない。そんな風に思う。あたかも自分が善人であるかのように考えている。しかし、犯罪は本当に悪なのか。いやどう考えても悪だ。誰かが傷ついているのだから。そうだから犯罪が世の中からなくなればいい。本当にそうなのか。私は最近そんなことを考る。 こんな感じでよく分からない思考を巡らせていますが、犯罪のない社会を想像してみて下さい。それは
だんだん暖かくなったきましたね。やっっっと僕の好きな季節である夏に近づいてきたと感極まっております今日この頃です。しかしながらの連続する雨、、、。暑さとジメジメした空気のサンドウィッチで息苦しいくあります。こんな感じで空気とコミュニケーションする日々を過ごしてます(笑) 突然ですが、質問します!!コミュニケーション能力って何ですか?結構な頻度で見聞きしません?僕なんか大学生ってこともあってメチャメチャ耳にします。アルバイトの求人なんかを見ていても、コミュニケーション能力
メディアって結構な頻度で耳にしません?僕は一日に一回以上は文字か耳で聞いている感覚です。実際に数えたことないので分かりませんけど、結構見かけたり聞く言葉だと思います。皆さん、少し聞きたいんですけどメディアの具体例ってあげられますか?雑誌、新聞、テレビ、、などあると思います。何個くらい出ていましたかね、10個出てきたのであれば素晴らしいと思います!ちなみに僕はメディアを理解する前は5つだけしか出てきませんでした(笑)全く自分のあまりの無知さを恥じるばかりです。しかしながらです
人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男(トゥルーマン)を描いたコメディドラマ。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、セットからついに脱出する。このトゥルーマンという映画から現代消費社会を考えていく。 トゥルーマンは
物の道具的機能は物の能力のことで、記号的機能はモノで他人と区別することである。記号的機能を言い換えると差異化といえるだろう。記号的機能は他人に違いが分からなければならないため、他人に違いが分かる程度の違いが必要となる。家電などの他人に見られる機会が少ない物に関しては道具的機能を重視する傾向が強く、他人の目に触れる機会の多い服などは記号的機能を重視する傾向が強いように感じる。しかし、どちらの物/モノにも道具的機能である能力が記号的機能である差異化としても機能するためこの2つの
構築主義的アプローチは、複数の主観がせめぎあうことによって社会問題が構成される過程を見ていくことであることに加えそれぞれの主観に基づいたものであるというスタンスをとる方法である。例えば、従業員が職場のタバコに苦しんでいた人がいた。何回も改善を要求したが逆に解雇通告をされた。簡易裁判に90万円の賠償請求訴訟を提出した。そして相手側の弁護士が出てきて70万円で和解解決した。つまり、構築主義的アプローチは観察者が従業員のクレーム申し立て活動、会社側の対抗クレームや裁判所の判決に自
知りたいという欲求は非常に強いものだと思う。もちろん知りたくない人がいることは承知だ。恋人のケータイを見たい人と見たくない人がいるのと同じことだ。だが知りたくないのは、恋人がもし自分の想定外のことを知るのを恐れてのことだ。少なくとも、恋人からあるいは好きな人からの好意のベクトルは自分に向いているのかどうかについては知りたくないだろうか。私は知りたい。この欲求はかなり強いと感じる。私の肌感覚でしかないが、時として三大欲求に勝る欲求となる。私はこう考える。知らない者は愚かである
足がつかない すごく深いのだろうか。 いや、もう少しのような気がする(笑) そう思ってどのくらいの時間を過ごしただろうか あれ、初めての道だ いや何度か通ったことあるかも、、 忘れちゃったや(笑) これ前にも! 気のせいか。 あれ、見たことある道だ いや、初めてかも あーついてた
いい温度だ。 寒くもなく、暑くもない。 今夜はどうするだろうか、、、 ポツッ、ポツッ、、少し雨が降ってきた、、、 今夜はどうするだろうか、、 あー駅に行ってる。 気をつけてと、またねのあなた 今夜はどうしようか、 雨がほんのちょっと強くなる あなたとなら警報がでたのに 明日は学校