今を生きる

 わたくしには記憶というものがございません。
「今」しかありません。
 何も覚えられないのです。
「今」の連続で生きております。
 温い部屋でわたくしは寝っ転がっております。とても清潔な部屋です、照明は明る過ぎないようオレンジ色の灯りです。
 ここで、わたくしには記憶というものがございません、なのに、この文章がどう書かれているか、疑問に思われるかもしれません。
 この文章は、わたくしが書いておりません。
 代筆です。小宮山さんに書いて頂いているのです。と書いているのが小宮山です。どうぞよろしくお願いいたします。
 ややこしいですね。
 小宮山がわたくしに扮し書いているのです。わたくしとは小宮山が書く架空のわたくしです。ではわたくしの文章をおたのしみ下さい。
 わたくしには記憶というものがございません。なので、なにも書けないのです。書くという行為は記憶を使うことが多いのです。わたくしの場合は記憶を使わずに書いているのです。「今」を書いているのです。そうなってくると味気ない文章になってしまいます。そこで小宮山の登場です。小宮山が記憶の役割を行います。
 どうも小宮山です。
 そうです。わたくしは温い部屋で寝っ転がっていたのです。そろそろご飯の時間かもしれません。ご飯を食べにゆこうと思います。ご飯は小宮山が準備してくれます。
 わたくしはまだか、まだかとご飯を待ち侘びます。わたくしはご飯が大好きなのです。わたくしのお仕事はご飯を食べて寝ることなのです。
 変わり映えのない毎日を送っております。
 ご飯を食べ、寝るだけです。
 わたくしはしあわせなのです。
 わたくしは小宮山より長生きできません。
 わたくしはただ「今」を生きるのです。

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